法勝寺。天台宗寺院を改めて開山
法勝寺の概要
日蓮宗寺院の法勝寺は、沼間山と号します。法勝寺は、大阿闍梨日範が永仁年間(1293-1299)或いは文安年間(1444-1449)に天台宗寺院を改めて開山したといいます。
山号 | 沼間山 |
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院号 | - |
寺号 | 法勝寺 |
住所 | 逗子市沼間4-1-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法勝寺の縁起
法勝寺は、大阿闍梨日範が永仁年間(1293-1299)或いは文安年間(1444-1449)に天台宗寺院を改めて開山したといいます。
新編相模国風土記稿による法勝寺の縁起
(沼間村)
法勝寺
沼間山と號す、日蓮宗(金谷村大明寺末、)本尊三寶及十一面觀音(行基作長二尺五寸)を置く (新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による法勝寺の縁起
文安(1444~49)年間の創立。開山大阿闍梨日範。尊師法縁。開基と創建は不明であるが、文安3年・延享3年の当寺縁起によると、人皇第45代聖武天皇の代当地は沼地で大蛇がすみ、行基菩薩が十一面観音を彫刻、小舟に乗り読経し大蛇を退治、沼を埋め一宇を建立、長尾山善応寺と称し、のち子生山感応寺、天童山正覚寺と改め、天台宗であった。当地は風が強いので後に現在地に移転。現在の境内は源義朝の旧宅沼浜の亭(沼浜城址)といわれ、故に山号を沼間山という。永仁年中に日範が当寺に来村、法論の末改宗、寺号改称。爾後無住時代多く荒廃したが、昭和2年竜稔院日秀により改築、今日に至る。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
法勝寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿