白玉山朝光寺。武相寅歳薬師如来霊場
朝光寺の概要
曹洞宗寺院の朝光寺は、白玉山士峰院と号します。朝光寺は、上原勘解由左衛門(法名朝光寺法山道念、天文17年1547年卒)が開基、碧岑東全(天文16年1546年寂)が開山となり創建、開基とその妻(法名士峯院盛山浄榮)より院号寺号を名付けたといいます。慶安2年(1649)には寺領6石5斗の御朱印状を拝領していました。武相寅歳薬師如来霊場12番です。
山号 | 白玉山 |
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院号 | 士峰院 |
寺号 | 朝光寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 横浜市青葉区市ヶ尾町1050-17 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
朝光寺の縁起
朝光寺は、上原勘解由左衛門(法名朝光寺法山道念、天文17年1547年卒)が開基、碧岑東全(天文16年1546年寂)が開山となり創建、開基とその妻(法名士峯院盛山浄榮)より院号寺号を名付けたといいます。慶安2年(1649)には寺領6石5斗の御朱印状を拝領していました。
新編武蔵風土記稿による朝光寺の縁起
(市ヶ尾村)朝光寺
境内御朱印地之内、村の南によれり、禅宗曹洞派、相模國高座郡遠藤村寶泉寺末、白玉山士峰院と號す、慶安二年八月二十四日寺領六石五斗の御朱印を賜ふ、開山碧岑東全天文十六年十一月十七日寂す、開基は當村の名主新五兵衛が先祖、上原勘解由左衛門にて、此人は天文十七年十一月卒す、法諡を朝光寺法山道念と云、又勘解由左衛門が妻の法名を士峯院盛山浄榮と云、天文七年六月十六日卒す、此法諡によつて當寺の院號をつけしにや、元は今の門前にありしを享保の頃ここに移せりと云。
寺寶。鎗一筋。上原勘解由左衛門持しよしを傳へり、長六七寸ばかり、總體錆を生じて鐵色をみるべからず。
白山祠。客殿に向て左の方にあり、東向なり。
第六天祠。客殿の後丘上にあり、坤向なり。
上原勘解由左衛門墓。客殿の後にあり、五輪の塔なり、文字は磨滅して讀べからず、傍に松の大樹あり、此邊に古碑十五基あれど、石理碎けて何れも全きものあらざれば讀がたけれど、ただ其内延徳四天應永二十九年など書し碑あり。(新編武蔵風土記稿より)
朝光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿