初割山東福寺。江戸幕府より寺領9石5斗の御朱印状
東福寺の概要
真言宗豊山派寺院の東福寺は、初割山永壽院と号します。東福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸幕府より観音堂領として寺領9石5斗の御朱印状を慶安2年(1649)以前より受領していたといいます。
山号 | 初割山 |
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院号 | 永壽院 |
寺号 | 東福寺 |
本尊 | 大日如来像 |
住所 | 横浜市青葉区市ヶ尾町527-2 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東福寺の縁起
東福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸幕府より観音堂領として寺領9石5斗の御朱印状を慶安2年(1649)以前より受領していたといいます。
新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(市ヶ尾村)東福寺
境内御朱印地、村の南方にあり、新義真言宗、郡内王禅寺村王禅寺末、初割山永壽院と號す、慶安二年八月二十四日、寺領九石五斗の御朱印を賜へり、其文に観音堂領先規御寄附に任の由を載られたれば、境内観音堂は古き世よりありしものにして、當寺は彼の堂の別當寺なりしならん、開山開基詳ならず、客殿八間に七間半西向なり、元の堂は門前にありしが、いつの頃にや今の所へ引うつせり、本尊大日坐像長一尺五寸許なるを安ず、其作を傳へず。
観音堂。客殿に向て左の方にあり、堂は三間に三間半南向なり、此十一面観音は立像にて長一尺四寸ばかりなるを安ず。(新編武蔵風土記稿より)
東福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿