市沢熊野神社|市野澤村の鎮守
市沢熊野神社の概要
市沢熊野神社は、横浜市旭区市沢町にある神社です。市沢熊野神社の創建年代等は不詳ながら、古くより市野澤村の鎮守社として祀られてきたといいます。明治42年村内の神明社を合祀したといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉那岐尊、伊弉那美尊、天照大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市旭区市沢町807 |
祭日 | 例大祭9月20日 |
備考 | - |
市沢熊野神社の由緒
市沢熊野神社の創建年代等は不詳ながら、古くより市野澤村の鎮守社として祀られてきたといいます。明治42年村内の神明社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による市沢熊野神社の由緒
(市野澤村)
熊野社
見捨地、九畝、村の中央にて丘上にあり、村内の鎮守なり、勧請の年代を傳へず、弘法大師肉筆の六字名號を神體になぞらふ、本社の前に二間に三間の拝殿を設く、その前に鳥居をたつ、皆東に向へり、年々九月朔日を例祭とさだめ、村童をあつめて角力を興行す、是を風祭と號す、風災なからんことを祈る故なり、長見寺持。
末社稲荷社。本社の左にあり。
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稲荷社
年貢地、小名桐ヶ作谷にあり、これも丘上に社たてり、長見寺持なり、下の神明も同じ。
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神明社
見捨地、一段、小名かた澤山の丘上にたてり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による市沢熊野神社の由緒
創建年代は不詳であるが、古くから村の鎮守で、例祭日には村童をあつめて角力が催されていた。現社殿は文政十年八月の造営である。明治四十二年村内の神明社を合祀した。(「神奈川県神社誌」より)
「旭区郷土史」による市沢熊野神社の由緒
由緒は不詳。「風土記稿」に『見捨地、九畝、村の中央にて丘上にあり、村内の鎮守なり、勧請の年代を傳へず、弘法大師肉筆の六字名號を神體になぞらふ、本社の前に二間に三間の拝殿を設く、その前に鳥居をたつ、皆東に向へり、年々九月朔日を例祭とさだめ、村童をあつめて角力を興行す、是を風祭と號す、風災なからんことを祈る故なり、長見寺持。末社稲荷社。本社の左にあり。』とある。
例祭に行われたすもうは、昭和初期まで続いていたという。(「旭区郷土史」より)
市沢熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「旭区郷土史」