畠山重忠公首塚|計10基の古墳と、3つの横穴群からなる古墳群
畠山重忠公首塚の概要
畠山重忠公首塚は、横浜市旭区にある名所旧跡です。畠山重忠公首塚は、鎌倉時代の武将で、源頼朝の忠臣だった畠山重忠公が、鎌倉幕府内の諍いに巻き込まれて元久2年(1205)二俣川で討たれ、重忠公の首が葬られた塚です。
名称 | 畠山重忠公首塚 |
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みどころ | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 横浜市旭区鶴ケ峰 |
備考 | - |
畠山重忠公首塚の由緒
畠山重忠公首塚は、鎌倉時代の武将で、源頼朝の忠臣だった畠山重忠公が、鎌倉幕府内の諍いに巻き込まれて元久2年(1205)二俣川で討たれ、重忠公の首が葬られた塚です。
新編武蔵風土記稿による畠山重忠公首塚について
(今宿村)
首塚
字鶴ケ峰にあり、わづか一坪ばかりのところなり。
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六塚
同じ邊にあり、由来を傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
横浜市教育委員会掲示による畠山重忠公首塚について
首塚
畠山重忠公は鎌倉時代の武将で、源頼朝の忠臣として幕府の創設にも力を尽くし、智・仁・義を兼ね備えた武将として名声をはせていました。しかし幕府の実権を巡る争いに巻き込まれ、旭区の二俣川付近で戦死しました。
ここは重忠公の首が葬られたところといわれています。現在は西向きに建っていますが、以前は南を向いていたそうです。(旭区観光協会掲示より)
畠山重忠公首塚の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿