白根山正圓寺。地頭藤川十右衛門が開基
正圓寺の概要
真宗佛光寺派寺院の正圓寺は、白根山と号します。正圓寺は、西傳(慶長元年1596年寂)が開山となり、地頭藤川甚兵衛の先祖十右衛門(寛永4年1627年寂)が池流山眞福寺と号して創建、創建当時は真言宗寺院だったといいます。宝永4年(1707)に浄土真宗寺院に改めて三谷山正圓寺と改号したといいます。
山号 | 白根山 |
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院号 | - |
寺号 | 正圓寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市旭区中白根1-1-11 |
宗派 | 真宗佛光寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正圓寺の縁起
正圓寺は、西傳(慶長元年1596年寂)が開山となり、地頭藤川甚兵衛の先祖十右衛門(寛永4年1627年寂)が池流山眞福寺と号して創建、創建当時は真言宗寺院だったといいます。宝永4年(1707)に浄土真宗寺院に改めて三谷山正圓寺と改号したといいます。
新編武蔵風土記稿による正圓寺の縁起
(白根村)
正圓寺
除地、七段五畝、村の中央にあり、浄土眞宗、京都西本願寺の末、三谷山と號す、當寺古は眞言宗なり、其頃佛光寺末にて、池流山眞福寺と號せしに、寶永四年故あるて改め、今の宗となれり、開山は西傳、慶長元年十月十九日寂す、開基は地頭藤川甚兵衛が先祖十右衛門なり、寛永四年十二月十三日卒せり、改宗せし時の僧の名は傳へず、本尊彌陀立像にて長一尺八寸なるを安ず、客殿五間四方坤向なり。
兒宮。境内巽の方にあり、薬師を勧請す、弘法大師作と云、長一尺許の立像なり、今は祠破壊して客殿に置、兒宮と唱ふる濫觴は傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
「旭区郷土史」による正圓寺の縁起
真宗(浄土真宗)仏光寺派(京都下京区)の末寺ですが、古くは真言宗であったと伝えます。以後江戸時代は白根地頭の菩提所として守られてきたが、文久2年(1862)15世住職没後は荒廃し、明治20年頃には火災で一切を焼失、以後50年間放置されたが昭和9年仮の本堂、庫裡が造られ、昭和55年に新本堂が完成しました。
境内には、この辺り一帯を知行していた藤川十衛門重安の墓があります。重安は天正12年(1590)地頭となり上・下白根村の他に久良岐郡岡村(現在の磯子区岡村)も治めていましたが江戸詰めであったため、土地の管理は斉藤代官が地方の行政・司法権を一手に引き受け絶大な権力を握っていたようです。今でも、白根街道には代官前(バス停)や代官橋が残っています。(「旭区郷土史」より)
正圓寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「旭区郷土史」