大照山真福寺。関東三十六不動、武相不動尊霊場、東国八十八ヵ所霊場
真福寺の概要
高野山真言宗の真福寺は、大照山不動院と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、和田義盛の創建だともいいます。当地の豪族田口平兵衞尉重勝が、元和元年(1615)に再建して中興、大阿闍梨法印秀頴を中興開山としたといいます。関東三十六不動4番、武相不動尊霊場15番です。
山号 | 大照山 |
---|---|
院号 | 不動院 |
寺号 | 真福寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 横浜市保土ケ谷区和田2-8-3 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺の創建年代等は不詳ながら、和田義盛の創建だともいいます。当地の豪族田口平兵衞尉重勝が、元和元年(1615)に再建して中興、大阿闍梨法印秀頴を中興開山としたといいます。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(和田村)眞福寺
村の北にあり、古義真言宗久良岐郡太田村東福寺の末大照山と號す、開山詳ならず、中興開山傳慶寛永二十一年十月六日に示寂す、客殿六間に五間半南向、本尊不動立像一尺八寸なるを安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による真福寺の縁起
眞福寺
眞福寺は、大照山不動院と號し、保土ヶ谷區和田町三十八番地にある。境内は六百二十五坪。中區南太田町東福寺の末で、寺格は十七等、弘法大師新八十八箇所礼所の第七十九番である。
沿革
當寺は源賴朝の家臣和田義盛の建立した所と傳へるが、明らかでない。其後一旦廢絕したのを、元和元乙卯年初春、當所の豪族田口平兵衞尉重勝が、其古蹟に密場一宇を再建し、大阿闍梨法印秀頴を迎へて、中興開山とした。爾後九年を經て、再び衰頽して殆ど無住に歸し、堂宇は復、荒廢を極めた。現住舜明が住持して以來は、漸く修覆を遂げ、今日の觀をなすに至つたのである。
本尊
本尊は不動明王の立像、長一尺八寸、廚子入、作者は不詳である。(「横浜市史稿」より)
真福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」