中原熊野神社|源頼朝の命によって泉蔵院智覚が熊野権現に参籠
中原熊野神社の概要
中原熊野神社は、横浜市磯子区中原にある神社です。中原熊野神社は、源頼朝の命によって建久3年(1192)泉蔵院智覚が熊野権現に参籠、熊野権現の分霊が中原海岸に漂着したことから、当地に熊野社を創建したといいます。明治6年村社に列格、明治43年中原町字浜の諏訪神社、同字谷戸の中原明神の二社を合祀、大正15年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊邪那美尊、速玉命、事解男命、天御中主神、建御名方命、日本武尊、靖国之神、氏子粗霊神 |
相殿 | - |
境内社 | 金刀比羅神社、摩利支天社、豊栄大神 |
住所 | 横浜市磯子区中原4-5-17 |
祭日 | 例大祭8月18日 |
備考 | - |
中原熊野神社の由緒
中原熊野神社は、源頼朝の命によって建久3年(1192)泉蔵院智覚が熊野権現に参籠、熊野権現の分霊が中原海岸に漂着したことから、当地に熊野社を創建したといいます。明治6年村社に列格、明治43年中原町字浜の諏訪神社、同字谷戸の中原明神の二社を合祀、大正15年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。
新編武蔵風土記稿による中原熊野神社の由緒
(森中原村)
諏訪社
除地、一畝五歩、村の鎮守なり、中程より巽の方にあり、二間に二間半、神體は坐像にて長八寸七分、松本村修験権現堂の持。
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熊野社
除地、五畝、村の乾にあり、山上に社を建、九尺に二間、泉蔵院持、縁起の文は正應二年別當祐賢が記を、正徳年中改寫せしものなり、當社は泉蔵院智覺、建久三年十一月造立すと見ゆ、其餘採用すべきものなし、社中に太神宮貴布彌、稲荷、八幡、牛頭天王、船玉神の六坐を合祀す。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による中原熊野神社の由緒
社伝によれば建久三年(一一九二)源頼朝の命によって真蹄智覚が紀州熊野に二一日間参籠し、国土安泰万民繁栄を祈願し、熊野三所大神の御分霊を拝受し、盤楠舟に載せて御神慮のままに海上に浮べたところ、一五日を経て中原海岸に着岸したという。源頼朝この事を聞くや、同年十一月十五日現在地に社殿を造立、みずから奉幣を行ったと伝える。江戸時代には境内五畝歩を除地とされ、元禄三年、正徳五年、安政五年と度々改築が行われ、明治六年村社に列した。同四十三年中原町字浜の諏訪神社、同字谷戸の中原明神の二社を合祀した。中原明神も建久年間の創立と伝える古社であった。その後大正四年更に改築を遂げ、同十五年十月神饌幣帛料供進神社に指定された。(神奈川県神社誌より)
中原熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿