横浜一之宮神社

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横浜一之宮神社|武蔵國一宮の大宮氷川神社を勧請して創建

横浜一之宮神社の概要

横浜一之宮神社は、横浜市神奈川区入江にある神社です。横浜一之宮神社は、永禄4年(1561)武蔵國一宮の大宮氷川神社を勧請して創建、一之宮大明神・一之宮明神社と称し、子安村の鎮守社だったといいます。明治初年村社に列格、明治41年七島の田圃稲荷、海辺通の東浜稲荷、中浜稲荷、西浜稲荷、西之宮、水神社、神ノ木の第六天等を合祀したといいます。

横浜一之宮神社
横浜一之宮神社の概要
社号 一之宮社
祭神 素盞嗚尊、事代主命、保食命、面足惶根命、水速迺売命、等
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市神奈川区入江1-13-16
祭日 -
備考 一之宮幼稚園併設



横浜一之宮神社の由緒

横浜一之宮神社は、永禄4年(1561)武蔵國一宮の大宮氷川神社を勧請して創建、一之宮大明神・一之宮明神社と称し、子安村の鎮守社だったといいます。明治初年村社に列格、明治41年七島の田圃稲荷、海辺通の東浜稲荷、中浜稲荷、西浜稲荷、西之宮、水神社、神ノ木の第六天等を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による横浜一之宮神社の由緒

(東子安村西子安村新宿村)子安一宮明神社
岳の上にあり、数十級の石階を登り社前に至れり、本社は三間に四間半西南の方に向ふ、本地は繭十一面観音長二尺五寸立像作詳ならず、又鎮座の年歴来由等も傳へず、もと子安一村の頃よりの鎮守なれば今に至り三村共に當社を以て鎮守とせり、石階の下に石の鳥居をたつ、九月朔日を例祭とす、別當を遍照院といへり。
末社三峯社。本社に向て右にあり小祠。
庵。本社の側にあり、昔は作りも大なりしよし今は荒廃してわづかの草庵なり、本尊阿弥陀ここに起立せし年歴詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川区史」による横浜一之宮神社の由緒

口碑によれば、永禄四年九月一日、武蔵国の総鎮守である北足立郡大宮町一之宮氷川大明神(現埼玉県大宮市鎮座)の分霊を勧請祭祀したといわれる。
文久二年三月一四日社殿を再建した。明治元年一月七日神奈川宿の大火で、別当遍照院に保管の神輿は、同院と共に類焼した。
神仏分離令によって、本地仏であった十一面観世音を遍照院に客仏として納めた。
明治初年村社に列せられ、明治三〇年一二月一八日、浮浪者の失火で社殿を焼失した。明治三四年三月一九日に再建、同年九月一日遷宮式を行った。
明治四〇年四月三〇日、神饌幣帛料供進社に指定された。翌四一年五月二八日近在一円の諸小社を皆合併した。
七島の田圃稲荷、海辺通の東浜稲荷、中浜稲荷、西浜稲荷、西之宮、水神社、神ノ木の第六天等がそれである。(「神奈川区史」より)

「神奈川県神社誌」による横浜一之宮神社の由緒

永禄四年(一五六一)九月一日武蔵国一宮(元官幣大社)氷川神社を勧請、一之宮明神社とも尊称、武蔵風土記にも、不断の由緒を有し、古伝説も数々あり四百余年の幾春秋を子宮町全町の守護神として仰がれ、この間累次の災害、震災を蒙ったが、再建、改修が行われた。戦後、平和条約締結記念、開港百年記念、御在位五十年記念として、隣接地を購入拡張整備を行い、昭和二十六年四月一之宮幼稚園を開設現在に至る。同三十七年八月御鎮座四百年を記念し現社殿を造営、同年本社氷川神社御神紋(八雲)の使用を允可された。(「神奈川県神社誌」より)

境内掲示による横浜一之宮神社の由緒

子安の地は神之木台遺跡、大口坂遺跡、その他があることからも推察されるように、縄文時代の昔より人間にとって住みやすい環境が与えられた所でした。我々の祖先は、海や山から自然の恩恵を受けて生活していたことでしょう。特にこの場所は、現在でも海を臨むことの出来る小高い丘ですが、近代に入り、海岸線を埋め立てるまではもう少し高い山でした。東海道沿いに展開した子安の濱野漁師にとって、漁場を定める目印となっていたそうです。
当然、漁師の信仰を集め、また東海道沿線ということもあり古くから小祠を以ってお祭りをしていたそうです。
その後、永禄四年(紀元二二二一年、西暦一五六一年)九月一日第百六代、正親町天王の御宇、武蔵國(埼玉県、東京都大部分、神奈川県東部)の一の宮、元官幣大社氷川神社(埼玉県大宮市鎮座)の分霊を現在地に勧請したところから、「一之宮大明神、一之宮明神社」等と称されて居ります。
江戸時代、徳川幕府の官撰地誌の最初である「新編武蔵風土記稿」にも収録され、白髯老神の伝説などもあり、連綿と祭祀が今に続いて居ります。
伝説の例
元禄三年(西暦一六九〇年)七月、村内に疫病が蔓延した折、入江川畔に白衣長髭の翁が現われ、「吾は一之宮大明神だが、近来氏子村民が敬神の念乏しく、社殿は大破し、祭祀を怠っているために災禍が横行するのである。以降、祭祀の礼を厚くすれば疫病はなくなる」と告げた。そこで、神楽を奏し、神拝の式を行うと忽ち疫病がなくなったという。その他いくつもあります。(境内掲示より)


横浜一之宮神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川区史」
  • 「神奈川県神社誌」