八幡神社(西寺尾)|建武年間以前の創建、西寺尾村の鎮守
八幡神社(西寺尾)の概要
八幡神社(西寺尾)は、横浜市神奈川区松見町にある八幡神社です。八幡神社の創建年代は不詳ですが、松蔭寺が所蔵所蔵していた建武年間(1334-1338)の図に当社が記載されていたことから、少なくとも建武年間以前の創建であろうといいます。西寺尾村の鎮守で八幡社と称していましたが、明治6年村社に列格、八幡神社と改称、昭和36年招魂社を新築、天王社を遷座したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 天王社、天満社、稲荷社、御嶽社、水神社、招魂社 |
住所 | 横浜市神奈川区松見町2-12-2 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
八幡神社(西寺尾)の由緒
八幡神社の創建年代は不詳ですが、松蔭寺が所蔵所蔵していた建武年間(1334-1338)の図に当社が記載されていたことから、少なくとも建武年間以前の創建であろうといいます。西寺尾村の鎮守で八幡社と称していましたが、明治6年村社に列格、八幡神社と改称、昭和36年招魂社を新築、天王社を遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による八幡神社(西寺尾)の由緒
(西寺尾村)八幡社
村の西寄にあり、此社も山の上なり本社宮作りにて一間四方、本地は阿弥陀の坐像銅にて造る長二尺許、拝殿は九尺に二間半前に鳥居を立つ、當社も勧請の年歴を傳へず、按に今東寺尾の松蔭寺に蔵する建武年中其寺の地形を図せしものに、八幡の社あるよしを載す、今も此寺當社の別当なれば、其所は古とも違ひぬれど何の頃にか此に移せしものならん、外には村内に八幡の社もなければ、恐くは建武の前より勧請ありし社ならん、されど此事別当寺に傳ふる所にもあらざれば今よりいかにとも定めがたし、土人云ふ往古は神輿ありしがややもすれば祟をなせしかは、村民をそれて山の麓に埋みたりと云、今其所を社句子とて小祠を建てあり、舎句子とて小祠を建てあり、舎句子とは云はいかなる故なりや詳にせず、例祭は年毎に六月二十七日(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による八幡神社(西寺尾)の由緒
勧請の年代は詳かにできないが『新編武蔵風土記稿』に「按ニ今、東寺尾ノ松蔭寺ニ蔵スル建武年中、其寺ノ地形ヲ図セシモノニ、八幡ノ社アルヨシヲ載ス。今モ此寺、当社ノ別当ナレパ其所ハ古トモ違ヒヌレド、何ノ頃ニカ此所ニ移セシモノナラン。外ニハ村内ニ八幡ノ社モナケレパ、恐クハ建武ノ前ヨリ勧請アリシ社ナラン」とあって、建武年代は一三三四年から一三三八年で、それ以前に勧請された古るい神社であると思はれる。明治六年村社となり、同三〇年一一月九日八幡大社を八幡神社と改称した。(「神奈川区史」より)
「神奈川県神社誌」による八幡神社(西寺尾)の由緒
創建年代は不詳であるが、新編武蔵風土記稿に「東寺尾松蔭寺に蔵する建武年中の図に八幡の社あるよしを載す、今も此寺当社の別当なれば其所は古とも違ひぬれど何の頃にか此所に移せしものならん」とあり建武以前に勧請されたものと思われる。明治六年村社となり、八幡大神を八幡神社と改称した。昭和三十六年九月社殿を再建、社務所、招魂社を新築、又、天王社(八坂大神)を遷し祀る。旧西寺尾村の鎮守にして現在は松見町西寺尾七ケ町の氏子町民により崇敬されている。(「神奈川県神社誌」より)
境内掲示による八幡神社(西寺尾)の由緒
勧請の年代は不詳であるが、「新編武蔵風土記稿」に「東寺尾松蔭寺に蔵する建武年中の図に八幡の社あるよしを載す。今も此寺当社の別当なれば其所は古とも違ひぬれば何の頃にか此所に移せしものならん。外には村内に八幡の社ともばければ恐くは建武の前より勧請ありし社あらん」とあって、建武年代(1334-1338)以前に勧請された古い社であると思われる。
明治六年村社となり八幡大社を八幡神社と改称した。
昭和三十六年九月社殿を再建、社務所、招魂社を新築、又天王社を遷し祀る。
昭和六十年参道敷石を改修、社号標を建立し、階段など境内の整備をなし、松見町西寺尾六ヵ町の氏子町民により崇神されている。氏子数約五千戸。
境内に神楽殿、松見連合会館、消防器材倉庫などがある。(境内掲示より)
八幡神社(西寺尾)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「神奈川県神社誌」