八幡神社(白幡仲町)|源義家奥州征討の途次に当地で戦勝を祈願
八幡神社(白幡仲町)の概要
八幡神社(白幡仲町)は、横浜市神奈川区白幡仲町にある八幡神社です。八幡神社の創建年代は不詳ながら、源義家奥州征討の途次に当地で戦勝を祈られたと伝えられ、明治6年村社に列格したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市神奈川区白幡仲町13-25 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
八幡神社(白幡仲町)の由緒
八幡神社の創建年代は不詳ながら、源義家奥州征討の途次に当地で戦勝を祈られたと伝えられ、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による八幡神社(白幡仲町)の由緒
(白旗村)八幡社
村の中央丘上にあり、九尺に二間南向なり、神體は木の立像にて長八寸許、作しらず、社前に石の鳥居をたつ、例祭年々九月五日なり、昔は神奈川町能満寺の持なりしが、近き頃より村持となれり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による八幡神社(白幡仲町)の由緒
創建年代は不詳であるが、口碑によれば、源義家奥州征討の途次、この地に寄って戦勝を祈られたと伝えられる。嘉永四年八月社殿を再建し、明治六年村社に列せられ、昭和九年改築、同五十一年御屋根葺替、境域の整備を完成し、白幡町全域の鎮守として崇敬せられている。(「神奈川区史」より)
「神奈川県神社誌」による八幡神社(白幡仲町)の由緒
由緒は詳かでない。しかし口碑に源義家が奥州征伐の途次、この処により其の戦勝を祈ったというので、凱旋ののち社を建立したものと伝へられている。
明治六年村社になった。嘉永四年八月に再建された社殿は大正一二年九月一日大震災大破し昭和九年に新築した。(「神奈川県神社誌」より)
境内掲示による八幡神社(白幡仲町)の由緒
御創建については詳ではないが口碑によれば、源義家公奥州征伐の途次この地に立寄られ戦勝を祈られた。その後社祠が建立されたと伝へられる。鎌倉時代、神奈川領は鶴岡八幡宮領であり白幡村の鎮守として奉斎されたものであります。旧社殿は嘉永四年(一八五二年)八月に再建せられ、また文久二年(一八六二年)の棟札が残されています、明治以後、神佛分離により神奈川町熊野神社にて兼務す。明治六年村社に列せられ、大正十二年九月一日の大震災により大破し、昭和四年九月現社殿を再建し、神饌幣帛料供進社に指定されました。戦後は氏子崇敬者の協賛を得て奉賛会を結成し、社殿神楽殿の修復、社務所の新築、境内の諸整備をなし、白幡町一円の総鎮守として元旦祭、春秋の祭事、八月の例大祭などを斎行し御神徳の昴揚に務めています。(境内掲示より)
八幡神社(白幡仲町)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「神奈川県神社誌」