宿遠山善龍寺。建長5年浄土真宗として中興開山
善龍寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の善龍寺は、宿遠山と号します。善龍寺の創建年代等は不詳ながら、天長年間(824-834)に真言宗寺院として創建したと伝えられます。当寺四十二世眞量法師が建長5年(1253)浄土真宗寺院に改めて中興したといいます。
山号 | 宿遠山 |
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院号 | - |
寺号 | 善龍寺 |
住所 | 横浜市神奈川区斎藤分町29-51 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善龍寺の縁起
善龍寺の創建年代等は不詳ながら、天長年間(824-834)に真言宗寺院として創建したと伝えられます。当寺四十二世眞量法師が建長5年(1253)浄土真宗寺院に改めて中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による善龍寺の縁起
(神奈川町)善龍寺
斉藤分にあり。浄土真宗西本願寺の末寺なり。宿遠山と号す。開山のこと詳ならず。古は真言宗なりと云。本堂七間に六間半、巽向なり、本尊阿弥陀を安ず。木の立像にして長二尺五寸なり。
鐘楼、門を入て右にあり。鐘に正徳年中の銘文あり。
寺中。専念寺、今は廃寺となる。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による善龍寺の縁起
宿緑山善竜寺(真宗本願寺派) 斉藤分町三三番地
沿革 寺伝によると草創は天長年中(八二四~八三四)。真言宗の寺院で四一世の間存続したが、建長五年第四二世真量法印の代浄土真宗に改宗し、よって真量法印を中興開山第一世とした。
天文年中。延享二年七月、安政五年一一月二五日と火災の厄にあった。(「神奈川区史」より)
「横浜市史稿」掲示による善龍寺の縁起
善龍寺
位置及寺格
善龍寺は、宿緣山と號し、神奈川區神奈川町字齋藤分二千九百九十番地にある。境内は九百五坪。官有地四百五十五坪、民有地四百五十坪。西本願寺の末寺で、寺格は本座一等である。
沿革
天長年間の開基と傳ふるが、詳かでない。初は眞言宗であつたが、建長五年、當寺四十二代眞量法師の時中興して、淨土眞宗に改めたと云ふ。天文年中燒失し、正德四年、圓明代。銅鐘を再鑄した。延享二年七月復燒失したが、圓行法師が中興した。古くは寺内に專念寺といふ塔中があつたが、何時の頃か廢絶に歸したといふ。文久元年三月、本堂を再建したが、安政二年八月二十五日の大風に倒潰し、次いで復興を告げたが、同五年十一月二十五日燒失した。其後、遵行法師が再建を遂げたが、明治の初年に、また火災に罹つた。遵行法師が再度造立したのが、現在の本堂である。明治二十二年四月、庫裡を造立し、大正十二年九月一日の大震災に、鐘樓が倒潰した。
本尊
本尊は阿彌陀如來立像、高一尺八寸、臺座共三尺六寸である。(「横浜市史稿」より)
善龍寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」