野島稲荷神社|横浜市野島区野島町の神社

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野島稲荷神社|阿波守長島維忠の発願により創建

野島稲荷神社の概要

野島稲荷神社は、横浜市野島区野島町にある神社です。野島稲荷神社は、阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝が安貞元年(1227)に創建したと伝えられます。江戸時代の万治年間(1658-1660)には徳川頼宣公の御殿(塩風呂御殿)が野島にあり、当社がその鬼門にあたったことから、社殿造営に尽力を受けたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治41年天照皇大神、厳島神社、天満宮等を合祀しています。

野島稲荷神社
野島稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 神明社、船玉社、秋葉神社、金比羅神社、天満宮、皇大神宮
住所 横浜市野島区野島町23-1
祭日 例大祭9月1日
備考 -



野島稲荷神社の由緒

野島稲荷神社は、阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝が安貞元年(1227)に創建したと伝えられます。江戸時代の万治年間(1658-1660)には徳川頼宣公の御殿(塩風呂御殿)が野島にあり、当社がその鬼門にあたったことから、社殿造営に尽力を受けたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治41年天照皇大神、厳島神社、天満宮等を合祀しています。

境内掲示による野島稲荷神社の由緒

野島稲荷神社由来
金沢八景の一つ野島の夕照で知られる野島山南側山裾に鎮座する稲荷神社(正一位稲荷大明神)は豊川稲荷、笠間稲荷、伏見稲荷、の日本三大稲荷の中の京都伏見稲荷の系統です。この神社は野島町の総鎮守で倉稲魂命をおまつりしています。
野島神社は安貞元年一二二七年今から約七百七十年の昔、鎌倉時代に阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝が造立したものと伝えられています。
また、土地の古老によれば万治年間(一六五八~一六六〇年)野島浦の南端に紀州大納言徳川頼宣公の別邸があり、これを塩風呂御殿と称したということです。
稲荷神社はちょうど塩風呂御殿の東北の方向にあり、そのため鬼門の守り神として頼宣公の手厚い尊信を受け社殿造営にも力を尽したということです。
平成十四年五月吉日 氏子総代(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による野島稲荷神社の由緒

(洲崎村)
稲荷社
年貢地、南方小高き處にあり、二間に三間、善應寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による野島稲荷神社の由緒

安貞元年(一二二七)阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝の造立と伝える。口碑によれば万治年間、徳川頼宣公洲崎に館を営み、世に之を塩風呂御殿と称したが、その艮方に当社あり、故に鬼門鎮護として尊心浅からず、社殿造営にも力を尽したという。もと善応寺が別当職であったが古記録を焼失し、寛文三年四月再建、延宝七年二月、宝暦四年三月、嘉永二年六月それぞれ修築の梁簡写しを伝えるのみである。明治六年六月村社に列格、同四十一年九月天照皇大神、厳島神社、天満宮等村内の無格社を合併、大正二年七月神饌幣帛料供進社に指定せられた。(神奈川県神社誌より)


野島稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿