壽楽山長生寺。横浜市金沢区六浦にある浄土真宗本願寺派寺院
長生寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の長生寺は、壽楽山と号します。長生寺の創建年代等は不詳ながら、壽楽山無量院と号す真言宗寺院として開創、文明年間(1469-1487)に蓮如上人(明応8年1499年寂)が関東遊化の際、時の住職頓乗(天正3年1575年寂)が蓮如上人に帰依して浄土真宗寺院に改め、長生寺と号したといいます。
山号 | 壽楽山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 長生寺 |
住所 | 横浜市金沢区六浦2-8-2 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長生寺の縁起
長生寺の創建年代等は不詳ながら、壽楽山無量院と号す真言宗寺院として開創、文明年間(1469-1487)に蓮如上人(明応8年1499年寂)が関東遊化の際、時の住職頓乗(天正3年1575年寂)が蓮如上人に帰依して浄土真宗寺院に改め、長生寺と号したといいます。
境内石碑による長生寺の縁起
桃渓若霖ゆかりの寺
壽楽山長生寺縁起
長生寺は元、真言宗壽楽山無量院と号した。文明年間に本願寺第八世蓮如上人、関東遊化の折、時の住職頓乗が上人に帰依し浄土真宗に改宗して寺号を長生寺と改め、当山開基となった。
六代目住職、桃渓若霖は延宝三年(一六七五年)六浦に生まれた。後に二代能化知空に見出されて僧籍に入り京都で修業した。宗学、漢詩に優れ宗門の逸材と呼ばれた。本願寺で典講という役職につき、知空能化の後を受けて本願寺第三代能化職となり衆望を集めた。後に生まれ故郷の長生寺住職として中興に力を尽した。(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による長生寺の縁起
(社家分村)
長生寺
境内除地二畝、當寺も六浦にあり、淨土眞宗京都西本願寺末、壽樂山と號す、本堂三間半に四間、東向、本尊彌陀の立像を安す、相傳古は壽樂寺と號し、眞言宗なりしが、蓮如上人安房國より相模國三浦に往來せし時、其船の舵取州崎村の民由右衛門がすゝめにより、當寺の住僧頓乘蓮如にまみえて感悟することありて則改宗し、蓮如の弟子となり寺號も今の如く改しと云、されど蓮如は明應八年に示寂し、頓乘は天正三年八月十六日寂すといへば、年代違ふに似たり(新編武蔵風土記稿より)
長生寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵国風土記稿