清林山金蔵寺。関東三十六不動、関東百八地蔵霊場、横浜七福神の寿老神
金蔵寺の概要
天台宗寺院の金蔵寺は、清林山佛乗院と号します。金蔵寺は、智證大師(814-891)が東国教化の際、当地に自刻の不動明王を本尊として創建したと伝えられ塔頭23ヶ寺を擁する大寺院だったといいます。江戸時代に入り寺領10石7斗の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁する本寺格の寺院でした。関東三十六不動5番、武相不動尊8番、関東百八地蔵霊場85番、准秩父三十四観音霊場3番、横浜七福神寿老神です。
山号 | 清林山 |
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院号 | 佛乗院 |
寺号 | 金蔵寺 |
住所 | 横浜市港北区日吉本町2-41-2 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金蔵寺の縁起
金蔵寺は、智證大師が東国教化の際、当地に自刻の不動明王を本尊として創建したと伝えられ塔頭23ヶ寺を擁する大寺院だったといいます。江戸時代に入り寺領10石7斗の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁する本寺格の寺院でした。
新編武蔵風土記稿による金蔵寺の縁起
(上駒林村)金蔵寺
村の中央にて御朱印地の内にあり、別に除地の段別なし。天台宗にて江戸寛永寺の末清林山佛乗院と號す、本堂十一間に九間半南に向ふ、本尊不動を安ず、立像にて智證大師の作なりと云、尋常の像をことなり、相傳ふ古は三井寺派にて東三井寺と唱へ塔中も二三軒ありて弥勒を本尊とし佛器舊記等もありしが、いつの頃か回禄にかかり烏有せし故開山開基さへも詳ならずと云、其後大猷院殿の御代に至り十石七斗餘の御朱印を下し賜へり。
弥勒堂。門を入て左にあり、三間に二間一尺、元は境内の祖と東の方にありしが、いつの頃か此所に移せりと云。
第六天社。本堂の後背の山上にあり、下並に同じ。太神宮、稲荷祠、辨財天社、山王社、不動堂。(新編武蔵風土記稿より)
金蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 横浜市 港北区 港北区の七福神1
参考資料
- 新編武蔵風土記稿