大寶山本乗寺。小幡伊賀守泰久が創建
本乗寺の概要
日蓮宗寺院の本乗寺は、大寶山と号します。本乗寺は、小幡伊賀守泰久が天文23年(1554年)に創建、日逞(天正8年1580年寂)が開山したといいます。
山号 | 大寶山 |
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院号 | - |
寺号 | 本乗寺 |
住所 | 横浜市港北区大豆戸町242 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本乗寺の縁起
本乗寺は、小幡伊賀守泰久が天文23年(1554年)に創建、日逞(天正8年1580年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による本乗寺の縁起
(大豆戸村)本乗寺
村の東南八王子社の側にあり、日蓮宗京都妙満寺末大寶山と號す、本尊三寶祖師客殿に安ず、天文二十三年北條家麾下の士、小幡伊賀守泰久が起立する所にして、開山は日逞と云、天正八年十月二十一日寂を示せり、村の古記録によれば開基泰久討死の時屍を境内を歸葬せしと云へど、今は墓石なければ其所を知らず。
三十番神堂。客殿の右にあり三間に九尺。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による本乗寺の縁起
本乘寺
位置
本乘寺は、大寶山と號し。神奈川區大豆戸町二百四十二番地に在る。境内は四百八十一坪。官有地。顯本法華宗總本山、京都妙滿寺末である。
沿革
天文二十三年、小田原北條家の麾下小幡伊賀守泰久の開基した所で、開山は日逞と云はれてゐる。口碑に據れば、伊賀守は討死の後、其屍を、當寺境内に持ち來つて埋葬し、今尙其墓石がある。其後寬永三年、第十四世日閑の代に、本堂を再建し、天保十年十一月、第三十六世日忍の代、更に之を再建した。則ち今の堂が夫れである。
本尊
本尊は依正不二人法一體生佛一如大曼荼羅である。
堂宇
現今の堂宇は、本堂桁行六間半、梁間七間、亞鉛葺、向拜附、四注造。天保十年、第三十六世代日忍の代に再建。・庫裡 桁行四間、梁間七間、草葺。文化七年建替。
廊下桁行四間三尺、梁間一間。明治十四年建替。表門八尺五寸。明治二十五年建替。物置桁行三間、梁間二間。等である。(「横浜市史稿」より)
本乗寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」