天東山東林寺。横浜市港北区篠原町にある曹洞宗寺院
東林寺の概要
曹洞宗寺院の東林寺は、天東山と号します。東林寺は、周巌大(大永2年1522年寂)が開山となり創建、會下寺と号していたといいます。一時は寺領83石の御朱印状を拝領し寺勢も盛んだったものの、回禄にかかり御朱印状を失ってしまったといいます。
山号 | 天東山 |
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院号 | - |
寺号 | 東林寺 |
住所 | 横浜市港北区篠原町1252 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東林寺の縁起
東林寺は、周巌大(大永2年1522年寂)が開山となり創建、會下寺と号していたといいます。一時は寺領83石の御朱印状を拝領し寺勢も盛んだったものの、回禄にかかり御朱印状を失ってしまったといいます。
新編武蔵風土記稿による東林寺の縁起
(篠原村)東林寺
禅宗曹洞派天東山と號す、相模国高座郡大庭村宗堅寺の末、開山周巌大永二年五月五日寂せり、この寺古はさかんにして境内も廣く、八十三石の御朱印地にて、寺號は會下寺と唱へしに、いつの頃か回禄にかかり彼御朱印を焼たれば、今はなく寺勢も大に衰へたり、この寺の門前を會下谷と名づけしは、この會下寺の名ありしゆへなりと、此事小名の條にも辨ぜり、拝殿七間に六間、本尊十一面観音坐像一尺許、この像の腹籠りに行基の作の観音を納めしにかの回禄のをりこの像庭前の柿樹のうろへのきてその災を免れたまひしなと今も靈験いちぢるしきと云へり。
門は東向にて天東山の額を掲ぐ、墓所の入口に善光大禅定門□永十一年八月十一日としるし、また眞光一如居士天正二年十月十五日とえりたる五輪の墓あり、村民九右衛門が先祖の墓なるよし、九右衛門は増田氏にて、先祖は彼篠原合戦のをり此地へのがれ来りしと云へば年代大にたがへり、いはんや篠原合戦のことは始に載たるごとくたしかに考ふべからざるをや。(新編武蔵風土記稿より)
東林寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿