綱島山長福寺。綱島十八騎の頭目佐々木五郎右衛門正次が開基
長福寺の概要
浄土真宗系単立寺院の長福寺は、綱島山と号します。長福寺は、綱島十八騎の頭目佐々木五郎右衛門正次が開基となり創建したといいます。
山号 | 綱島山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 横浜市港北区綱島台28-1 |
宗派 | 浄土真宗系単立 |
葬儀・墓地 | 長福寺会館 |
備考 | 長福寺幼稚園 |
長福寺の縁起
長福寺は、綱島十八騎の頭目佐々木五郎右衛門正次が開基となり創建したといいます。
境内石碑による長福寺の縁起
当山は今から約四百年前、文禄元年の戦国時代の頃綱島十八騎というものがおって、その一人児島賀典(後改姓して佐々木となる)が当地に出家して僧となり浄土真宗綱島山長福寺と号し今日に及んだものであります。(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(南綱島村)長福寺
字中村にあり、浄土真宗にて京都東本願寺末綱島山と號す、客殿七間に六間巽に向ふ、本尊は彌陀の木像にて長一尺餘、開基は前にいへる所(北條左衛門佐が知行していた際、金堂五郎右衛門正次が綱島十八騎の首魁となったとの記述)の十八騎の頭なりし金堂五郎右衛門正次なりと云、寛永元年十一月七日雷火の爲に堂宇すへて焼失し、舊記等も此時殘りなく焼失せしかば、開山の僧も詳ならす。
太子堂。門を入て左にあり前に數級の石階あり、九尺四方の堂にて長一尺五寸の木像を安す。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による長福寺の縁起
長福寺
位置及寺格
長福寺は、綱島山と號し、神奈川區南綱島町二千六百八十四番地に在る。境内は四百五十六坪。東本願寺の直末で、寺格は餘間である。
沿革
草創の年代及び開山の名は、不明である。文祿元年九月三日、小島帶刀入道賀典・近藤五郞右衞門正次の助力を得て中興したと云ふ。寬永元年十二月七日。雷火の爲めに燒失し、舊記・什寶を失つた。第二世言了中興し、本願寺の直末となつた。第十世典海の代、天保五年十二月十六日、再び火災に罹り、同九年二月、再建を遂げた。これが現今の堂宇である。
本尊
本尊は阿彌陀如來立像、長一尺餘である。
堂宇
今の堂宇は、本堂桁行七間、梁間六間半、草葺、四注造、向拜附。庫裡桁行六間、梁間七間半、草葺。玄關桁行二間、梁間一間、亞沿葺。
境内佛堂
廊下桁行一間半、梁間四間半、亞沿葺。等である。
太子堂。桁行二間、梁間二間、草葺。(「横浜市史稿」より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」