港南天照大神|旧笹下郷の総社、旧称太神宮
港南天照大神の概要
港南天照大神は、横浜市港南区港南にある天照大神です。港南天照大神の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-92)以前の創建で、往古は笹下郷の総社だったと伝えられ、江戸期には太神宮と称していたといいます。江戸期には、天文12年(1543)領主間宮信元が再建した安房洲神社が松本村内の鎮守とされていましたが、明治6年当社が村社に列格、明治41年(1908)村内の無格社であった安房州社、八坂神社、若宮八幡社、榛名神社、稲荷神社、杉山神社、御霊神社を合祀したといいます。
社号 | 天照大神 |
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祭神 | 大日孁貴命 |
相殿 | 天太玉命、素戔嗚尊、源義家命、火産霊命、埴山姫命、倉稲魂命、厩戸皇子命、間宮豊前守祖先霊 |
境内社 | - |
住所 | 横浜市港南区港南5-12-8 |
祭日 | 例大祭9月5日 |
備考 | - |
港南天照大神の由緒
港南天照大神の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-92)以前の創建で、往古は笹下郷の総社だったと伝えられ、江戸期には太神宮と称していたといいます。江戸期には、天文12年(1543)領主間宮信元が再建した安房洲神社が松本村内の鎮守とされていましたが、明治6年当社が村社に列格、明治41年(1908)村内の無格社であった安房州社、八坂神社、若宮八幡社、榛名神社、稲荷神社、杉山神社、御霊神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による港南天照大神の由緒
(松本村)
安房洲明神社
除地、一段許、小名宮田にあり、村内の鎮守なり、當社縁起の略に云、何の頃にや此邊の海中震雷電し、東の方より紫雲起り、雲中に唄聲聞えしかば里民奇異の思をなす所に、いつくともなく僧一人来、彼紫雲の消、(長文以下省略)
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御靈権現社
小名下笹下にあり、森中原村修験泉蔵院持、古間宮氏宅地の鎮守なりしと、寛永二年間宮左衛門尉敦信より泉蔵院へ與へしものに、當社勧請及再興等のことを記せり、其文左の如し、
武州久良岐郡杉田庄、佐々気村御靈宮天文年中開基、願主同國橘樹郡川崎堀ノ内城主佐々木間宮豊前守源信、元當所領内江建立、文禄年中信元四代孫、間宮彦四郎源直元造代之云々、
右之外修理等、數
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太神宮
小名中登にあり、村内修験権現堂持。
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権現堂
小名宮田にあり、聖護院末、修験亀谷山と號す(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による港南天照大神の由緒
もと笹下郷の総鎮守たる本社の創立年代は不詳であるが、境内神木等から天正以前と推定されている。明治六年村社に列し、同四十一年九月、無格社の安房洲神社、八坂神社、若宮八幡社、榛名神社、稲荷神社、杉山神社、御霊神社の七社を合祀し、大正二年五月に神饌幣帛料供進社に指定された。現在の本殿は文久三年六月の再建で、明治二十二年五月に拝殿を増築したものである。(「神奈川県神社誌」より)
「港南の歴史」による港南天照大神の由緒
創立の年代は不詳、口碑によると、天正年代(一五七三~九二)以前の創建で、往古は、笹下郷の総社であったといわれる。
明治六年に村社に列せられ、明治四一年(一九〇八)九月に、村内の無格社であった安房州社、八坂神社、若宮八幡社、榛名神社、稲荷神社、杉山神社、御霊神社の七社を合配した。
大正二年(一九一三)五月二〇日、神饌幣帛料供進社に指定された。
安房洲神社は、天文一二年(一五四三)時の領主間宮信元の再建にかかる社で、若宮八幡社も、間宮信元の創立であるという。
『新編武蔵風土記稿』によると、風土記成稿の頃は当地における神社としては、小名宮田に「安房洲明神社」が村内の鎮守。「榛名社」は、石の小社。「稲荷社」は小名青木。「山王社」は村の中程より少し北よりに、「若宮八幡社」は、小名笹下にあった。
間宮豊前守信元の創建である「安房洲明神社」と間宮氏宅地の鎮守であった「御霊権現社」が『新編武蔵風土記稿』では、大々的に記載されているが「太神宮、小名中登にあり、村内修験権現堂持」とのみに扱かわれた社が現今では総鎮守になっているのは、昔日の口碑にもどったというのか。一四〇級の石段を登り切った頂上に開けた境内は、市内でも有数な閑寂な社地である。(「港南の歴史」より)
港南天照大神の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「港南の歴史」