永谷神明社|村人が合議して天照皇大神を当時の村の中央に村鎮守として創建
永谷神明社の概要
永谷神明社は、横浜市港南区下永谷にある神明社です。永谷神明社は、村人が合議して天照皇大神を当時の村の中央に村鎮守として永禄元年(1558)創建したと伝えられ、明治維新後に村社に列格、明治41年村内に鎮座していた六社を合祀したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | 伊邪那岐命、市杵島姫命、応神天皇、日読命、月読命、武甕槌命、菅相公 |
境内社 | 琴平社、山神社、地神社、不動社 |
住所 | 横浜市港南区下永谷2-32-1 |
祭日 | 例大祭9月17日 |
備考 | - |
永谷神明社の由緒
永谷神明社は、村人が合議して天照皇大神を当時の村の中央に村鎮守として永禄元年(1558)創建したと伝えられ、明治維新後に村社に列格、明治41年村内に鎮座していた六社を合祀したといいます。
新編相模国風土記稿による永谷神明社の由緒
(永谷中村)
神明宮
村の鎮守とす、祭禮十一月十六日村持下同。
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八幡宮
春日を合祀す。(新編相模国風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による永谷神明社の由緒
永禄元年(一五五八)の創建と伝える。村人が合議して、天照皇大神を当時の村の中央に奉斎したものであって、明治の制村社に列し、同四十一年村内の六社を合祀した。境内二「西南戦歿軍人之碑」「忠魂碑」の二基を建つ。(「神奈川県神社誌」より)
「港南の歴史」による永谷神明社の由緒
神社創建の由来、年月を明らかにすることはできぬが、明治四二年八月二七日、八幡社、白山社、天神社、白幡社、日月社を合祀した。村社。
鬱蒼とした木立の間の参道を登ると、明治一五年九月再建した、石の神明形鳥居があって、鳥居をくぐると間もなく、右側に石の七観音が安置してある。
石段は、三段に区切られて、初めが三一段、次が一八段、次に六〇段の石段を登り切ると境内にでる。(「港南の歴史」より)
永谷神明社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「港南の歴史」