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野庭神社|横浜市港南区野庭町の神社

野庭神社の概要

野庭神社は、横浜市港南区野庭町にある野庭神社です。野庭神社は、当地の開発者臼井杢右衛門胤知が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社を勧請して蔵王社と称して元亀元年(1579)に創建、村の鎮守として村内の字権現山に祀られたといいます。寛政元年当地に遷座、明治30年野庭神社御嶽社としたといいます。

野庭神社
野庭神社の概要
社号 野庭神社
祭神 日本武尊
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市港南区野庭町1838
祭日 例大祭4月10日
備考 -



野庭神社の由緒

野庭神社は、当地の開発者臼井杢右衛門胤知が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社を勧請して蔵王社と称して元亀元年(1579)に創建、村の鎮守として村内の字権現山に祀られたといいます。寛政元年当地に遷座、明治30年野庭神社御嶽社としたといいます。

新編相模国風土記稿による野庭神社の由緒

(上野庭村)
蔵王社
村の鎮守とす、祭祀十一月十日浄念寺持(新編相模国風土記稿より)

「神奈川県神社誌」による野庭神社の由緒

元亀元年(一五七〇)一一月三日臼井胤知が大和国吉野山より勧請した。境内にある二株の桜樹は、同時に同山より移植したものという。新編武蔵風土記稿に蔵王社とあるのはこの社で、口碑によれば、古昔は字西町、権現山に鎮座していたという。(「神奈川県神社誌」より)

「港南の歴史」による野庭神社の由緒

元亀元年(一五七〇) 一一月三日臼井杢右衛門胤知が、大和国吉野山から勧請したという。
『新編相模国風土記稿』の上野庭付の項に「蔵王社」とあるのはこの社で、隣接の蔵王山浄念寺が明治維新まで、当社の別当寺であった。
神明造りの石の鳥居、嘉永四年建立の石灯龍一対の間を、急な三六級の石段をあがると境内が開ける。
境内の片隅に大山廻りの石仏がある。(「港南の歴史」より)

境内掲示による野庭神社の由緒

元亀元年「一五七〇年」室町幕府の足利将軍義明の時代、野庭郷をいわれた頃、御当地開発者、臼居杢右エ門氏が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社に、勧請して御身体を授り、野庭郷字西ノ町権現山に蔵王権現社として建立されたものと言う。
祭神は日本武尊で有る「一七八九年」寛政元年現在地に移転された。其の後神殿の老朽に伴い、明治三年十月以て造営されて、此の年神祇官により、野庭神社御嶽社の稱号を授けられた。祭神の新したかなることは有名で、爾来御当地の氏神として信仰の中心として今日に至っている。(上野庭町内会文化部掲示より)


野庭神社の周辺図


参考資料
  • 新編相模国風土記稿
  • 「神奈川県神社誌」
  • 「港南の歴史」