野庭神明社|旧下野庭村の鎮守
野庭神明社の概要
野庭神明社は、横浜市港南区野庭町にある神明社です。野庭神明社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には村持ちの社として下野庭村に神明宮として祀られていたといいます。明治42年、村鎮守で元禄11年に建立された白旗権現・大母於保暮明神合社(下野庭村小名第六天鎮座)を当社に合祀、下野庭の鎮守として崇敬されたといいます。
社号 | 神明社 |
---|---|
祭神 | 天照大神 |
相殿 | 大母大明神、白旗権現 |
境内社 | 山神社 |
住所 | 横浜市港南区野庭町603-2 |
祭日 | 例大祭9月9日 |
備考 | - |
野庭神明社の由緒
野庭神明社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には村持ちの社として下野庭村に神明宮として祀られていたといいます。明治42年、村鎮守で元禄11年に建立された白旗権現・大母於保暮明神合社(下野庭村小名第六天鎮座)を当社に合祀、下野庭の鎮守として崇敬されたといいます。
新編相模国風土記稿による野庭神明社の由緒
(下野庭村)
白旗権現大母於保暮明神合社
村の鎮守とす、祭禮十一月九日元禄十一年時の地頭牟禮遠江守勝久が造立せし棟札あり。
--
神明宮
村持。(新編相模国風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による野庭神明社の由緒
創立年代は不詳であるが、古来野庭村の鎮守で、明治の制村社に列していた。(「神奈川県神社誌」より)
「港南の歴史」による野庭神明社の由緒
由緒不詳。『永野郷土誌』に、「明治四十二年六月一日字第六天にありたる白旗社を合併して、社般を新築したり。」とあって、『新編相模国風土記稿』に、白旗社は「村の鎮守とす、祭礼十一月九日元禄十一年時の地頭牟礼遠江守勝久が造立せし棟札あり、〇神明宮村持、」とあって白旗社は、往昔は村の鎮守であったのが、何時の頃からか、神明社が、これに替わった。(「港南の歴史」より)
野庭神明社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「港南の歴史」