猫の足あとによる横浜市の寺院、神社など横浜市の寺社案内 猫の足あとによる横浜市の寺院、神社など横浜市の寺社案内
猫の足あと

本願寺横浜別院。横浜市港南区日野にある真宗大谷派寺院

本願寺横浜別院の概要

真宗大谷派の本願寺横浜別院は、真宗大谷派の本山本願寺の別院です。本願寺横浜別院は、慶応2年(1866)本願寺第21世厳如上人が、本山二十八日講として創建、東京浅草本願寺別院出張所だったといいます。明治18年には支院に昇格、明治40年真宗大谷派本願寺の横浜別院になったといいます。

本願寺横浜別院
本願寺横浜別院の概要
山号 -
院号 -
寺号 本願寺横浜別院
住所 横浜市港南区日野1-10-8
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 大谷幼稚園



本願寺横浜別院の縁起

本願寺横浜別院は、慶応2年(1866)本願寺第21世厳如上人が、本山二十八日講として創建、東京浅草本願寺別院出張所だったといいます。明治18年には支院に昇格、明治40年真宗大谷派本願寺の横浜別院になったといいます。

新編武蔵風土記稿による本願寺横浜別院の縁起

昭和時代創建のため記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「港南の歴史」による本願寺横浜別院の縁起

慶応二年(一八六六)八月、武蔵国久良岐郡横浜町に、本山第二一世厳如上人が、本山二十八日講なる教会を組織したのが、当院のはじめといわれる。
明治五年(一八七二) 一〇月、太田町六丁目に、同一六年(一八八三)三月花咲町一丁目に移転したが、当時は、東京浅草本願寺別院出張所の寺格で同一八年(一八八五) 一〇月、長者町五丁目の地に、堂宇を建立して支院に昇格した。
明治三二年(一八九九)八月一二日、雲井町一丁目付近から出火し、全半焼三、二〇〇余戸、死者一一人を出した「雲井町の大火」に類焼したが、明治四〇年(一九〇七)六月には、一二間四方の本堂の再建が完成して、本山大谷派本願寺の横浜別院になり、伊藤大忍が初代の輪番職に就任した。
大正一二年九月一日の、関東大震災に全焼したが、大正一三年一〇月には再建を遂げた。(「港南の歴史」より)

「横浜市史稿 佛寺編」による本願寺横浜別院の縁起

東本願寺横濱別院
位置
東本願寺別院は、中區長者町五丁目八十五番地にある。境内は六百二十坪。
沿革
慶應二年八月、本山第二十一世嚴如上人が、本山二十八日講なる敎會を橫濱の地に組織した。これが當院の權輿である。明治五年十月、太田町六丁目に移轉して、東京淺草本願寺別院の出張所とし、同十六年三月、再び花眹町に移し、同十八年十月、更に現在の地に移轉して、堂宇を建設し、翌十九年十月四日、東京淺草本願寺別院の支院に改めた。同三十二年八月十二日、大火に類燒したが、同四十年六月、十二間四方の本堂の再建成り、本山大谷派本願寺の別院に昇格し、伊藤大忍が初代の輸番職に就いた。大正十二年九月一日の大震災に罹つて全燒したので、大正十三年十月に再建を遂げた。
本尊
本尊は阿彌陀如來。
堂宇
現今の堂宇は、本堂桁行五間、梁間九間、木骨コンクリート造、亞沿葺。及び庫裡十間に五間、亞沿葺。である。
付屬建物
東本願寺幼稚園。大正十二年の震災後、本山に關東復興事務局を置き、其事業の一として託兒所を起し、これを當院に附屬した。昭和二年四月、此組織を改めで幼稚園となした。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


本願寺横浜別院の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「港南の歴史」
  • 「横浜市史稿 佛寺編」