蔵王山浄念寺。野庭を開発した臼井杢右衛門胤知が開基
蔵王山浄念寺の概要
浄土宗寺院の浄念寺は、蔵王山正定院と号します。浄念寺は、野庭を開発した臼井杢右衛門胤知(法名正定院専誉浄念、天正18年1590年没)が開基となり、呑霊(昌蓮社深誉)が開山、蔵王社(野庭神社)の別当寺を務めていたといいます。かつては鎌倉郡観音三十三ヵ所霊場第十八番札所でした。
山号 | 蔵王山 |
---|---|
院号 | 正定院 |
寺号 | 浄念寺 |
住所 | 横浜市港南区野庭町1843 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蔵王山浄念寺の縁起
浄念寺は、野庭を開発した臼井杢右衛門胤知(法名正定院専誉浄念、天正18年1590年没)が開基となり、呑霊(昌蓮社深誉)が開山、蔵王社(野庭神社)の別当寺を務めていたといいます。
新編相模国風土記稿による蔵王山浄念寺の縁起
(上野庭村)
浄念寺
蔵王山正定院と號す、浄土宗大町村安養院末、本尊彌陀開山呑靈、昌蓮社深譽と號す、元和二年九月七日寂す、開基は白井木工右衛門なり法名正定院専誉浄念、天正十八年九月廿三日死す、即當村の開發人なり。
観音堂。如意輪観音を安ず。
支院。西長院、本尊彌陀。(新編相模国風土記稿より)
「港南の歴史」による蔵王山浄念寺の縁起
浄念寺(蔵王山正定院)
「本尊弥陀開山呑霊(昌蓮社深誉と号す、元和二年九月七日寂す、)開基は臼井杢右衛門なり(法名正定院専誉浄念、天正十八年九月廿三日死す、即当村の開発人なり、)△観音堂如意輪観音を安ず、△支院、西長院(本尊弥陀)」と『新編武蔵風土記稿』にある。
浄念寺開基の臼井杢右衛門胤知は、天正元年(一五七三)の頃から、野庭の地を開発した人といわれるが、古は野場、或は野菜の文字をもちいて、天文の古文書に、この地名を載せてあるので、天正の頃に、初めて開発したのは誤りであると『新編相模国風土記稿』の「上野庭村」の項に書かれている。
然し臼井杢右衛門は、この地の開発者の一人であったことは事実で、浄念寺を開創している。
浄念寺は臼井杢右衛門の法名から、院号、寺号を定め、隣接の蔵王社の別当であった。
寺歴によると、六世用誉が、堂宇を復興したが、用誉は当時の様相について、「客殿西向七間六間、本尊座像御長五尺也。山ニ蔵王堂有、則鎮守也。又観音堂有、鎌倉札所第十八番也、観音御長七寸二分運慶作也。当寺本尊臼井家建立之由大檀那也。観音堂霞山ノ上ニ有」と述べ、他に江戸期から支院として西長院があった。が、六世住職は浄蓮社清誉であって、当寺住職に用誉という僧が居ないので不思議に思われる。支院西長院は今は廃寺になっている。
鎌倉郡観音三十三ヵ所霊場第十八番札所(「港南の歴史」より)
蔵王山浄念寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「港南の歴史」