中村八幡宮|平安時代創建
中村八幡宮の概要
中村八幡宮は、横浜市南区八幡町にある八幡宮です。中村八幡宮の創建年代は不詳ながら、延喜年間(901-923)には既に祀られていたといい、鎌倉時代には幕府より田畑の寄進を受け、村内には「神田」が散在していたといいます。明治6年には村社に列格したといいます。
社号 | 八幡宮 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、忠霊祠 |
住所 | 横浜市南区八幡町1 |
祭日 | 例大祭8月15/16日 |
備考 | - |
中村八幡宮の由緒
中村八幡宮の創建年代は不詳ながら、延喜年間(901-923)には既に祀られていたといい、鎌倉時代には幕府より田畑の寄進を受け、村内には「神田」が散在していたといいます。明治6年には村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による中村八幡宮の由緒
(中村)八幡社
除地、二畝二十八歩、村の中程にあり、鎮守なり、伍丹明神を相殿とす、是伍丹大王を祀れるなり、玉泉寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による中村八幡宮の由緒
創立年代は不詳であるが、古老口碑によれば、延喜の御代既に「八幡大明神」の神詞此の地に存したと云う。新編武蔵風土記稿には「八幡社地二畝二十八歩、村の中程に建てり、玉泉寺持」とあり、鎌倉幕府から寄進されたという田畑は八幡宮除地又は神田と称して、明治十年地租改正まで村内に散在していた。明治六年村社に列した。(「神奈川県神社誌」より)
「南区の歴史」による中村八幡宮の由緒
中村八幡宮
古老の口伝に、醍醐天皇の御代(八九七~九三〇)、既にこの地に神祠が存在して、八幡大明神と称したと伝えられている。明治六年村社に列せられた。(「南区の歴史」より)
中村八幡宮所蔵の文化財
- 内務省地理寮水準点(横浜市地域史跡)
内務省地理寮水準点
明治維新以来、わが国が近代国家となっていく上で、測地事業は欠くことのできない事業でした。明治政府は、明治七年(一八七四)一月、内務省に地理寮(後に地理局となる)を設置し、集中的に開港の五港(横浜・神戸・新潟・函館・長崎)や東京・大阪・京都などの主要都市の市街図作成に力を注ぎ、内務省地理寮は、明治一七年(一八八四)以降に参謀本部陸地測量部に移管されるまで測地事業を担当しました。
横浜は、近代測量による地図(五千分の一)が完成した最初の開港地で、明治七年~八年(一八七四~五)に三角測量及び水準測量が行われ、明治一四年(一八八一)に実測図が刊行されました。このときの水準点が内務省地理寮水準点(高低几号標)です。
この水準点は記号を不朽物や石導などに彫刻して標識とするよう内務省かた布達されていました。
市内に所在する内務省地理寮水準点のうち、「中村八幡宮」参道入口の角は白に彫刻されているものは、当時の地図と比較して位置が動いていないと思われます。(横浜市教育委員会掲示より)
中村八幡宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「南区の歴史」(南区の歴史発刊実行委員会)