松吟山大光寺。横浜三十三観世音霊場、東国八十八ヵ所霊場
大光寺の概要
高野山真言宗寺院の大光寺は、松吟山寶樹院と号します。大光寺の創建年代は不詳ですが、延宝7年(1679)に大本山高野山桜池院から山号院号を付与されたといいます。当寺の黒門は、旧金沢六浦藩米倉侯陣屋の辰己南門を移築したものだといい、東福寺の赤門に対して、黒門と呼ばれるといいます。横浜三十三観世音霊場6番、東国八十八ヵ所霊場56番、、横浜弘法大師二十一箇所9番です。
山号 | 松吟山 |
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院号 | 寶樹院 |
寺号 | 大光寺 |
住所 | 横浜市南区南太田2-7-21 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 大光寺愛児園 |
大光寺の縁起
大光寺の創建年代は不詳ですが、延宝7年(1679)に大本山高野山桜池院から山号院号を付与されたといいます。当寺の黒門は、旧金沢六浦藩米倉侯陣屋の辰己南門を移築したものだといい、東福寺の赤門に対して、黒門と呼ばれるといいます。
新編武蔵風土記稿による大光寺の縁起
(太田村)大光寺
永引、一畝二十歩、上組にあり。同末(古義真言宗東福寺末)、松吟山寶樹院と号す。本堂五間半に六間半、本尊阿弥陀立像長三尺許。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による大光寺の縁起
大光寺
位置
大光寺は、松峯山寶杉院と號し、中區南太田町淸水耕地七百六十五番地にある。境内は三百七十七坪。民有地。市内東福寺の末寺で、寺格は十一等地。今、市内觀音三十三所の第六番、同弘法大師二十一所の第九番の靈場である。
沿革
開基不詳。寛永二乙丑年十月十日、東福寺の住持、秀甚法印が中興した。同十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、東福寺末と載せてある。延寶七年十二月十五日、大本、山、高野山櫻池院から始めて山號及び院號を附與された。其の院號は、杉山大明神の別當寺であつた關係を表明した所であると云ふ。延享二年十一月二十九日、本寺東福寺への書上に、寺内御年貢永引とあり、新編武藏風土記稿に、永引一畝二十歩と見える。明治維新の際、神佛分離令により、杉山神社別當を退き、同時に同社本地佛、藥師を寺内、瑠璃殿に迎へた。
本尊
本尊は阿彌陀如來、立像三尺許。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
「南区の歴史」による大光寺の縁起
松吟山宝杉院大光寺
延宝七年(一六七九)一二月一五日大本山高野山桜池院から始めて山号院号を付与された。山門は東福寺の赤門に対して黒門と呼ばれ、金沢六浦藩米倉侯陣屋の辰己南門を移建したといわれる。(「南区の歴史」より)
大光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
- 「南区の歴史」(南区の歴史発刊実行委員会)