久保町天満宮|鎌倉時代末期の創建
久保町天満宮の概要
久保町天満宮は、横浜市西区久保町にある天満宮です。久保町天満宮は、嘉元元年(1303)の創建と伝えられ、青木町上台の清水山大日堂境内に稲荷社と共に祀られていたといいます。明治期に稲荷社を合祀、大正6年当地へ遷座したといいます。
社号 | 天満宮 |
---|---|
祭神 | 菅原道真、倉稲魂之命 |
相殿 | - |
境内社 | 伏見稲荷神社、塩釜稲荷神社、笠間稲荷神社 |
住所 | 横浜市西区久保町34-12 |
祭日 | 5月25日 |
備考 | - |
久保町天満宮の由緒
久保町天満宮は、嘉元元年(1303)の創建と伝えられ、青木町上台の清水山大日堂境内に稲荷社と共に祀られていたといいます。明治期に稲荷社を合祀、大正6年当地へ遷座したといいます。
「横浜西区史」による久保町天満宮の由緒
天満宮
久保町三四-一二。宮司宮松島太郎左衛門。祭神菅原道真、倉稲魂之命。嘉元元年(一三〇三)創立と伝えられる。近世には神奈川宿青木町上台の清水山大日堂境内に稲荷社と共に祀られていたが(「武蔵風土記稿、神奈川宿」)、明治時代に稲荷社を合併、大正六年現在地に移転した。境内社は、伏見稲荷神社、塩釜稲荷神社、笠間稲荷神社。例祭日五月二十五日。御神体の道真像は「神酒を献ずれば尊眼に赤色を帯ぶ」といわれた。また当社は、かつて藤棚花街の信仰を集めていたといわれる。(「横浜西区史」より)
新編武蔵風土記稿による久保町天満宮の由緒
(神奈川宿上台町)
大日堂
坂の上にて北側なり。堂の大さ2間半に3間、清水山と号せり。大日の像長7寸ばかり恵心僧都の作なりと云、本山修験梅之院持なり。
稲荷社、境内に入て右の方にあり。小祠なり、前に鳥居をたつ。
閻魔堂
これも同邊にあり。2間四方の堂なり。閻魔の像長3尺。
天神社
これも同あたりにあり。小祠なり。
秋葉不動合社
これも同所にあり。 (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による久保町天満宮の由緒
天満宮
嘉元元年(一三〇三)武蔵国橘樹郡神奈川宿清水山に創設せられ、御神像は座像運慶作と言われ、昔時の東海道に画し小社なれども有名なりと、江戸名所図絵にもえがかれ、御神酒を献ずれば顔面朱色を帯ぶと伝えられる。昔は雷除の御守札が多く出たとも云われ、大正六年十一月二十五日現在地に移転、今日に至っている。(神奈川県神社誌より)
久保町天満宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿