岡野神社|横浜市西区岡野の神社

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岡野神社|太田佐兵衛が新田開拓の際に勧請、金毘羅大権現

岡野神社の概要

岡野神社は、横浜市西区岡野にある岡野神社です。岡野神社は、愛知県安城市の太田佐兵衛が新田開拓の際に弘化4年(1847)現横浜公園地付近に金毘羅大権現を勧請したといいます。昭和15年岡野町にあった豊川稲荷社を合祀して岡野神社と改称、当地に遷座したといいます。

岡野神社
岡野神社の概要
社号 岡野神社
祭神 大物主命、倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市西区岡野2-4-15
祭日 -
備考 -



岡野神社の由緒

岡野神社は、愛知県安城市の太田佐兵衛が新田開拓の際に弘化4年(1847)現横浜公園地付近に金毘羅大権現を勧請したといいます。昭和15年岡野町にあった豊川稲荷社を合祀して岡野神社と改称、当地に遷座したといいます。

「横浜西区史」による岡野神社の由緒

岡野神社
岡野一丁目四-一五。宮司嶽山寛忠。祭神大物主命、倉稲魂命。弘化四年(一八四七)三河国碧海郡川島村(現愛知県安城市)の太田佐兵衛が横浜村と吉田新田村の間の入海を開発しようとし、工事の成功を祈って金比羅大権現を勧請した(「市史稿神社編」)。嘉永三年(一八五〇)三月起工、安政三年(一八五六)三月太田屋新田が完成した(内田四方蔵「横浜の新田と埋立」)。金比羅社はたびたび火災に遭い、昭和十五年岡野町町民の願いにより、金比羅社と、岡野町にあった豊川稲荷社とを合して、岡野神社と改称し、現在地に奉祀された。(「横浜西区史」より)

神奈川県神社誌による岡野神社の由緒

岡野神社
弘化四年(一八四七)正月、参州碧海郡川島村の太田佐兵衛なる者、武蔵国久良岐郡横浜浦に新田開発の折、高波数度襲来、工事は難渋した。時に、江戸深川材木商太田屋徳三郎が之に協力、象頭山金比羅大権現に心願をこめ着工、遂に開発に成功した。是によって右新田総体の鎮守神と崇め、象頭山に登山、御分霊を受けて奉斎した。現在の横浜公園地堺町南の方に当る所の一角を宮地と定め、以来毎年三月、十月各十日を以て祭日としていた。然るに火災等のため転々と移り、慶応二年現在の尾上町二丁目に当る場所に奉安した。明治六年相生町より出火、又々当社類焼の難に遭った為、一時伊勢山に奉安した。大正十二年関東大震災に神殿悉く焼失し、昭和三年二月中区新山下町に移転された。元来岡野の里は往時入海にて、天保の頃より陸地少しく現われ、特に保土谷惟子の里に住した岡野勘四郎が埋立を始めてより、住民次第に増え、町民も将来の発展と敬神崇祖の念をたかめ、人心の和合を期せんが為、一神社を創立する事を念願としていたが、昭和三年町民一体となりへ古くから此の町に鎮座されていた庭内私祠豊川稲荷社を町の鎮守とする事になった。かくして昭和十五年十二月許可を得て新に前記の無格社金刀比羅神社と豊川稲荷社を合祀し、岡野神社と改称せられ今日に至った。(神奈川県神社誌より)


岡野神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿