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猫の足あと

大聖院。横浜市西区元久保町にある高野山真言宗寺院

大聖院の概要

高野山真言宗寺院の大聖院は、日明山寳泉寺と号します。大聖院は、秀巌が天文13年(1544)に開山、承応年中(1652-1655)に秀盛法印が再興、昭和28年野毛より当地へ移転したといいます。東国八十八ヵ所霊場37番、横浜觀音三十三観世音霊場1番、横浜弘法大師二十一箇所1番です。

大聖院
大聖院の概要
山号 日明山
院号 大聖院
寺号 寳泉寺
住所 横浜市西区元久保町5-20
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大聖院の縁起

大聖院は、秀巌が天文13年(1544)に開山、承応年中(1652-1655)に秀盛法印が再興、昭和28年野毛より当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による大聖院の縁起

(戸部村)大聖院
除地、一間許、南の方にあり、(古義真言宗、太田村東福寺末、)日明山寳泉寺と號す、本堂五間に六間、本尊不動、開山秀巌、寂年詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜西区史」による大聖院の縁起

日明山宝泉寺大聖院(高野山真言宗、本山高野山金剛峰寺)
元久保町五-二〇。住職吉田密浄。本尊不動明王。開山秀厳、天文十三年(一五四四)の創立かといわれる。承応年中(一六五二〜五五)秀盛法印が再興。寛永十年の「関東真言宗古義本末帳」に、大聖院寺内御免とある。戦災により堂宇焼失。昭和二十八年野毛町より現在地に移転。(「横浜西区史」より)

「横浜市史稿 佛寺編」による大聖院の縁起

大聖院
位置及寺格 
大聖院は、日明山寶泉寺と號し、中區西戸部町二番地にある。境内は四百四十七坪。大本山、金剛峯寺直末の三等格院で、市内觀音三十三所の第一番、同弘法大師二十一箇所の第一番の靈場である。
開山は秀嚴法印である。創立は、或は不詳と云ひ、或は天文十三年と云ひ、或は天文十三年の再建と云ひ、すべて明かでない。戸部村記錄には、當寺の前身は臨江寺と稱し、寛元年中、戸部民部の創立にかゝり、應仁年中、兵火に罹つて燒亡し、退轉に及んだところ、天文年中、山本大膳丞定國が再興し、今の山號・寺號・院號に改めたとあるが、臨江寺の名は永祿の北條氏役帳に見え、元祿の村明細帳にも載せ、且つ現に林光寺と稱する古刹の存在するものあるに勘考すれば、此記錄には據り難いと思ふ。更に一說には、當寺は往古、現今の野毛町一丁目、子の神社舊境内にあつて、代々同社の別當を兼ねてゐたが、天文十三年中、火災に罹つたので、臨江寺住職法謙より今の境内地の寄附を受け、此處に移轉したとも云ふ。承應年中、秀盛法印が中興した。元祿十二年十月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、東福寺末寺大聖院寺内 御免。と載せてある。これが雷寺の名が文獻の上にあらはれた最古のものである。正德六年に、堂宇を再建した。新編武藏風土記稿に、本堂五間に六間と見えるは、蓋し其れである。明治十二年、高野山金剛峯寺の直末となつた。明治二十七年四月二十七日、堂宇再建の工を起し、同三十二年七月、十一間四方の本堂を落成し、更に大正三年、庫裡の新築を遂げた。然るに不幸にして大正十二年九月一日の大震火災に罹り、堂宇・什寶を擧げて殆ど烏有に歸した。
燒失した重なる寶物は、本尊不動明王を始め、弘法大師・地藏菩薩・觀世音菩薩・五智如來(傳、弘法大師眞作)・大黒天・石造、閻魔三體・竹刻觀世音、及び釋迦一代記・古畫小屏風一雙・不動愛染金絲縫取畫二幅・弘法大師眞筆心經一卷・同眞筆尊影一幅・十六羅漢一幅・多賀城古瓦硯壹箇等である。
本尊
本尊は、弘法大師坐像。震災後、大本山金剛峯寺から附與されたものある。
堂宇
現今の堂宇は、本堂 庫裡兼帶の假建築、總 建坪五十五坪、亞鉛葺。一宇である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


大聖院の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 横浜西区史(西区教育委員会)
  • 「横浜市史稿 佛寺編」