法皇山西教寺。幸手市神明内に創建
法皇山西教寺の概要
真宗大谷派寺院の西教寺は、法皇山と号します。西教寺は、了圓が寛永18年(1641)幸手市神明内に創建、伊藤大忍が廃寺同様となっていた西教寺の寺籍を当地に移して、寺号公称したといいます。
山号 | 法皇山 |
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院号 | - |
寺号 | 西教寺 |
住所 | 横浜市中区小港町3-179 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法皇山西教寺の縁起
西教寺は、了圓が寛永18年(1641)幸手市神明内に創建、伊藤大忍が廃寺同様となっていた西教寺の寺籍を当地に移して、寺号公称したといいます。
新編武蔵風土記稿による法皇山西教寺の縁起
(葛飾郡之十八幸手領神明内村)
西教寺
浄誓寺末、本尊彌陀、開山了圓寛永十八年十月起立す。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による法皇山西教寺の縁起
西敎寺
位置及寺格
西敎寺は、法皇山と號し、中區南太田町字庚耕地千三百四十四番地にある。境内は三百七十八坪五合五勺。大谷派本願寺の末寺で、寺格は内陣地である。
沿革
明治三十七年六月十七日、伊藤大忍が、武藏國北葛飾郡權現堂川村西敎寺の寺籍を移して建立したものである。是れより先、大忍は、當市久保山が寺院の叢淵であるにも拘らず、未だ眞宗所屬の寺院がないを遺憾とし、前年現境内を拓き、假に六十餘坪の一堂を建設し、布敎の基礎を立てたが、進めてこれを一寺となすのは認可が容易でないと思ひ、茲に西敎寺の名籍を移して、寺號を公稱するに至つたのである。因に、舊西敎寺は延享四年の創立であるが、其後廢頽して、僅かに寺籍のみを存するの有樣であつたと云ふ。大正九年、桁行七間、梁間八間半の本堂を完成したが、大正十二年九月一日の大震災に倒潰したので、其後鐵筋コンクリート造の本堂を建立した。
本尊
本尊は阿彌陀如來の立像である。
堂宇
現今の堂宇は本堂桁行六間、梁間八間、入母屋造、瓦葺。鐵筋コンクリート建。昭和五年五月起工、同六年六月竣工。及び庫裡建坪八十八坪。昭和四年四月起工、同年十月竣工。である。
檀家
檀家は六百五十戸。
住職世代
中興開基伊藤大忍。第二世伊藤達。現住。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
法皇山西教寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿