諏訪山大圓寺。明治25年に日蓮宗布教所として創始
諏訪山大圓寺の概要
日蓮宗寺院の大圓寺は、諏訪山と号します。大圓寺は、星野日光が明治25年に正觀世音菩薩を安置して日蓮宗布教所として創始、明治31年に三浦郡衣笠村下平作の諏訪山大圓寺を移して一寺としたといいます。

山号 | 諏訪山 |
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院号 | - |
寺号 | 大圓寺 |
住所 | 横浜市中区大平町94 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
諏訪山大圓寺の縁起
大圓寺は、星野日光が明治25年に正觀世音菩薩を安置して日蓮宗布教所として創始、明治31年に三浦郡衣笠村下平作の諏訪山大圓寺を移して一寺としたといいます。
新編武蔵風土記稿による諏訪山大圓寺の縁起
江戸期武蔵国内になかったため掲載なし(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による諏訪山大圓寺の縁起
大圓寺
位置
大圓寺は、諏訪山と號し、中區中村町字平樂百四十五番地にある。境内は八十四坪。三浦郡衣笠村金谷山大明寺の末寺で、寺格は平僧六等である。
沿革
當寺の濫觴は、明治二十五年、星野日光が當所千六百三十五番地に一堂を建立し、其守本尊正觀世音菩薩を安置したに起る。後。改めて日蓮宗布敎所とした。爾來信徒日に月に多きを加へたので、明治三十一年九月五日、三浦郡衣笠村下平作の諏訪山大圓寺を移して、始めて寺號を公稱した。依つて日光を開基中興と稱する。舊、大圓寺は、明德年中、三浦郡衣笠村金谷山大明寺六世の僧日榮が、境内から下平作村に移した摩利支天堂を、應永年間に同所の住人三堀安兵衞が護り立てゝ、一寺となした所であると云ふ。新編相模國風土記には、開山・開基を傳へずとある。明治六年十月、一旦廢寺同樣に爲つてゐたが、同十六年十二月、本山大明寺竝に檀信徒の協力によつて再興し、茲に當市に移るに至つたのである。
本尊
本尊は十界輪圓具足大曼陀羅日蓮大菩薩木像、魔利支天木像。である。又脇本尊は正觀世音菩薩、閻浮檀金像と云ひ、高一寸三分である。中興開山星野日光、越後柏崎東城寺住職中、明治十九年十一月二十一日・二十二日の兩夜、靈夢に感じ佛壇下の土中から探り得た所と云ふ。爾來守本尊として崇敬怠らず、後、由緖により當地に一堂を建立して安置し、終に當寺の開基をなすに至つた。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
諏訪山大圓寺の周辺図
参考資料
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿