東耀山圓大院。明治21年根岸に移転
東耀山圓大院の概要
日蓮宗寺院の圓大院は、東耀山と号します。圓大院は、鎌倉本覺寺の開山一乘院日出上人が鎌倉に圓大院と称して創始、明治21年根岸に移転したといいます。
山号 | 東耀山 |
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院号 | - |
寺号 | 圓大院 |
住所 | 横浜市中区大平町90 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東耀山圓大院の縁起
圓大院は、鎌倉本覺寺の開山一乘院日出上人が鎌倉に圓大院と称して創始、明治21年根岸に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による東耀山圓大院の縁起
江戸期武蔵国内になかったため掲載なし(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による東耀山圓大院の縁起
圓大院
位置及寺格
圓大院は、東耀山と號し、中區根岸町字猿田千五百十四番地にある。境内は二百七十五坪。民有地。鎌倉東身延本覺寺の末寺で、寺格は平僧六等である。
沿革
寺傳に據れば、鎌倉本覺寺の開山一乘院日出上人、同寺を創立歸宗の際、歸宗の徒、圓大日種なる寺傍に、一宇を草創し、圓大院と號した。これが當寺の前身であるといふ。新編相模國風土記小町村の條に、圓大院の所見はない。明治二十五年十一月十一日、大貫宣良、本願となり、當市根岸町字西之丸三千百五十六番地に移し、同三十九年十二月、住職神部宣忠、寺門興隆の爲め、再び寺地の移轉を企圖し現境内を拓いて、伽藍を建築し、同四十一年三月、全く移轉を了した。大正十二年九月一日の大震災に、堂宇が倒潰した。今の本堂は、大正十四年五月、改築を經たものである。
本尊
本尊は釋迦牟尼佛・日蓮大菩薩である。
堂宇
今の堂宇は、本堂桁行六間、梁間六間。内陣二間半に一間半、入母屋造、亞沿葺、向拜唐破風。・庫裡桁行六間半、梁間六間、入母屋造、亞沿葺。・附屬屋一間半に二間。・離座敷一間半に二間、亞沿葺。・表門瓦葺。等である。
境内佛堂
境内佛堂、淨行堂。本尊は淨行菩薩。堂宇は八尺に九尺の瓦葺である(「横浜市史稿 佛寺編」より)
東耀山圓大院の周辺図
参考資料
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿