東上郷白山神社|横浜市栄区東上郷町の神社

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東上郷白山神社|平安時代末期には、本郷総鎮守として鍛冶谷字神戸の地に創建

東上郷白山神社の概要

東上郷白山神社は、横浜市栄区にある白山神社です。東上郷白山神社の創建年代等は不詳ながら、神職内田和泉の祖先が仁平元年(1151)に亡くなっているといい、平安時代末期には、本郷総鎮守として鍛冶谷字神戸の地に創建していたといいます。鎌倉の艮(北東・鬼門)に位置することから、源頼朝は證菩提寺と共に崇敬、元中元年(1384)鍛冶谷から光明谷山巖山に遷宮、江戸時代まで当地区(上郷・上之村)の鎮守社でした。明治6年村社に列格、昭和51年当地へ遷座しています。

東上郷白山神社
東上郷白山神社の概要
社号 白山神社
祭神 伊弉冉命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市栄区東上郷町44-9
祭日 例大祭9月17日
備考 -



白山神社の由緒

東上郷白山神社の創建年代等は不詳ながら、神職内田和泉の祖先が仁平元年(1151)に亡くなっているといい、平安時代末期には、本郷総鎮守として鍛冶谷字神戸の地に創建していたといいます。鎌倉の艮(北東・鬼門)に位置することから、源頼朝は證菩提寺と共に崇敬、元中元年(1384)鍛冶谷から光明谷山巖山に遷宮、江戸時代まで当地区(上郷・上之村)の鎮守社でした。明治6年村社に列格、昭和51年当地へ遷座しています。

新編相模国風土記稿による白山神社の由緒

(上之村)
白山社
村の鎮守なり、祭神伊弉册尊神躰九寸六分は舒明天皇の作らせ給ひし物と傳ふ、勧請の年代詳ならざれど近衛帝已前の事と識らる(神職内田和泉が祖、仁平元年死すと云ふをもて推考す、)昔は小名鍛冶ヶ谷口(所在の字を神戸と云ふ)にありて頼朝建牙の後は鎮守府艮の神と稱す、今の地に遷座ありしは正中元年九月なり、別當舊くは實應坊と云ふ(坊が事、證菩提寺の條合考すべし、)後證菩提寺其職を兼管す、神職は内田和泉と云ふ(家傳に、先祖は内田縫殿助儀重)と稱し、即神職たり、仁平元年二月十五日死す、其十世の孫を和泉守爲光と云ふ、實は藤谷爲相の末子にて、此家を繼しなりと云ふ、)神寶數種を蔵すれど皆贋物と見えれば採録せず、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による白山神社の由緒

舒明天皇の御代、本郷六ヶ村の鎮守として鍛冶ヶ谷神戸に建立鎮祭されたと伝える。鎌倉時代源頼朝は幕府艮の守神として崇敬し、執権北条泰時は長尾郷に神領二町歩を寄進した。正中元年(一三二四)九月光明ヶ谷神戸に遷座して明治六年村社に列格、昭和五十一年十月現在地に新社殿を建立遷座された。
(神奈川県神社誌より)

「戸塚区郷土史」による白山神社の由緒

白山神社(上郷町一四〇五番地ノ二)
人皇三十五代舒明天皇の御宇、本郷総鎮守として鍛冶谷字神戸の地に建立されたと伝えられ、のち仁治元年(一二四〇)三月五日北条泰時は、長尾郷飯島村に神領田二町歩を寄進したといい、また源頼朝鎌倉に開府以来幕府艮の神として深く崇敬された。元中元年(一三八四)九月十五日鍛冶谷から光明谷山巖山に遷宮したが、時に旧地に因み此の地も神戸と称するようになったといわれ、越えて明治六年村社に列せられた。證菩提寺に「白山権現縁起」を蔵しており、現在では祭神として伊弉冊尊を祭祀し、例祭は九月二十七日に修している。(「戸塚区郷土史」より)


東上郷白山神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿