長沼八幡社|慶長10年創建、長沼村の鎮守
長沼八幡社の概要
長沼八幡社は、横浜市栄区にある八幡社です。長沼八幡社は、慶長10年(1605)に創建、長沼村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格しています。
社号 | 八幡社 |
---|---|
祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 神明社 |
住所 | 横浜市栄区長沼町775 |
祭日 | 例大祭9月19日 |
備考 | - |
八幡社の由緒
長沼八幡社は、慶長10年(1605)に創建、長沼村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格しています。
新編相模国風土記稿による八幡社の由緒
(長沼村)
八幡宮
村の鎮守なり、祭祀九月十八日、金蔵寺持、
---
神明宮
村持下同、
--
金蔵寺
三瀧山長沼院と號す、古義眞言宗(手廣村青蓮寺末、)本尊不動 (新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による八幡社の由緒
慶長十年(一六〇五)四月の創建で、古来長沼村の鎮守であった。新編風土記稿に「八幡宮、村の鎮守なり、祭礼九月十八日、金蔵寺持」とある如く、古くは八幡宮と称せられ、金蔵寺が別当であった。明治六年十二月村社に列せられ、昭和五十二年九月現在の社殿を新築竣工した。(神奈川県神社誌より)
「戸塚区郷土史」による八幡社の由緒
八幡社(長沼町七番地)
応神天皇を祭神とし、創建年代は不詳である。昔は三滝山長沼院金蔵寺が神社祭祀を行っていたという。この寺は古義真言宗にぞくし、本尊に不動明王を安置していたが、明治維新の際廃寺となった。神社の例祭は江戸時代から九月十八日に行っていた。(「戸塚区郷土史」より)
境内掲示による八幡社の由緒
慶長十年(一六〇五年)四月の創建で古来は長沼村の鎮守であった。
新編風土記稿に(八幡宮村の鎮守なり祭禮九月十八日金蔵寺持)とある如く古くは八幡宮と称せられ金蔵寺が別当であった。
古来の社殿は木造茅葺の社殿で内殿は総欅造りの壮厳な造営であったが社殿の損傷が激しく昭和四十八年に御造営の内相談が始まったが、昭和五十年九月二日夜半不審火の災禍にあった。不幸中幸にも近隣の氏子への延焼がなかった事は有難いことであった。
氏子崇敬者は早速対策を協議、建設委員会を組織し万難を排し氏神への奉仕の誠を捧げ建設にあたった。(境内掲示より)
長沼八幡社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿