若竹町子ノ神日枝神社|横浜市栄区若竹町の神社

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若竹町子ノ神日枝神社|上杉管領家が農業守護のため子ノ神・日枝神社を合祀

若竹町子ノ神日枝神社の概要

若竹町子ノ神日枝神社は、横浜市栄区にある子ノ神日枝神社です。若竹町子ノ神日枝神社の創建年代等は不詳ながら、證菩提寺の建武2年(1335)文書に、「子神」と記載されていることから、鎌倉時代末には祀られていたといいます。上杉管領家が農業守護のため両社を文明年間(1469-1486)に合祀したと伝えられ、江戸期には中之村の鎮守社として祀られていました。

若竹町子ノ神日枝神社
若竹町子ノ神日枝神社の概要
社号 子ノ神日枝神社
祭神 大己貴命、大山咋命
相殿 -
境内社 稲荷社
住所 横浜市栄区若竹町31-34
祭日 例大祭9月第2日曜日
備考 -



子ノ神日枝神社の由緒

若竹町子ノ神日枝神社の創建年代等は不詳ながら、證菩提寺の建武2年(1335)文書に、「子神」と記載されていることから、鎌倉時代末には祀られていたといいます。上杉管領家が農業守護のため両社を文明年間(1469-1486)に合祀したと伝えられ、江戸期には中之村の鎮守社として祀られていました。

新編相模国風土記稿による子ノ神日枝神社の由緒

(中之村)中野
子神山王合社
村の鎮守とす、村持子神の名は建武の文書にも見ゆ(按ずるに、上ノ村證菩提寺蔵建武二年眞阿彌陀堂供僧等料田坪付の書に、承仕明教分、田二段子神前、道圓跡の分、田二段小、子神前、とある是なり、)
末社 稲荷。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による子ノ神日枝神社の由緒

当社の創祀については明らかでないが、上野村證菩提寺所蔵の建武の文書に「子ノ神」の名が見えており、子ノ神社が古社であったことが証せられる。「日枝社」との合祀については記録がないが、社伝では文明年間、管領家が農業守護のため両社を合祀したという。新編風土記には、「子ノ神山王合社、村の鎮守とす、村持」と記している。(神奈川県神社誌より)

「戸塚区郷土史」による子ノ神日枝神社の由緒

子ノ神日枝神社(中野町大橋二二七番地)
祭神は大己貴命・大山咋命の二柱。伝うるところによれば、文明年間上杉管領家が農業守護のため、守護神として子ノ神を鎮祭したのに、はじまるという。證菩提寺所蔵の建武の記年をもつ文書に「承仕明教分田二段子ノ神前、道円跡分田二段子ノ神前」と「子ノ神」の名が見えるところからすれば、鎌倉期以来の古社と考えられ、境内所在の手水鉢には「弘化三年九月奉納」の旨が記されている。(「戸塚区郷土史」より)

境内石碑による子ノ神日枝神社の由緒

子ノ神日枝神社は旧中野村の守護神として鎮座し
「子ノ神」は大己貴命(大国主命の別名)殖産興業の神
「日枝神社」は大山咋命(大年神の御子)文化開発の神
を祭神として仰ぎ其の創立は詳かでないが、證菩提寺建武の書に
子ノ神の名ある処より古社である事は証せらるるも当時は「子ノ神社」と「日枝社」は別社であり其の合祀については此亦不詳である
しかし社伝によれば文明年間(一四六九年-八六年)当時此の地を所管していた上杉関東管領が土地肥沃な㹨川流域の中央部(中野の里)の守護神として、此の両社を併せ祀り農業の振興を図ったと記されている。(境内石碑より)


若竹町子ノ神日枝神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿