妙顕山常勝寺。千秀学校地
常勝寺の概要
日蓮宗寺院の常勝寺は、妙顕山智善院と号します。常勝寺は、常勝院日養が永正元年(1504)字坪入谷に創建したといいます。江戸期には寺小屋に提供され、明治5年ここに千秀学校が設置されていました。
山号 | 妙顕山 |
---|---|
院号 | 智善院 |
寺号 | 常勝寺 |
本尊 | 大曼茶羅 |
住所 | 横浜市栄区田谷町1405 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常勝寺の縁起
常勝寺は、常勝院日養が永正元年(1504)字坪入谷に創建したといいます。江戸期には寺小屋に提供され、明治5年ここに千秀学校が設置されていました。
新編相模国風土記稿による常勝寺の縁起
(田谷村)
智善院
妙顯山と號す、法華宗、鬼子母神(長六寸六分運慶作)を本尊とす、開山は日親なり、寺寶に日親が文明二年に書せし曼荼羅一幅あり、(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による常勝寺の縁起
常勝寺(田谷町一四〇五番地)日蓮宗
智善院妙顕山と号し、本尊に日蓮宗奠定の大曼茶羅を安置しており、寺伝は永正元年(一五〇四)常勝院日養により字坪入谷(伯老庵=現加藤宇八宅前)に創立されのち、寛政十一年現在地=芝後谷に移建されたといっているが、「相模風土記稿」には鬼子母神(長六寸六分運慶作)を本尊とし、開山は日親、寺宝に日親が文明二年(一四七〇)書した曼茶羅一幅を有すると記している。江戸期には寺小屋に提供され、明治五年ここに千秀学校が設置された。なお寺門の扁額「妙顕山」は遠州掛川城主太田摂津守従五位源資美公の真筆で、明治九年掲げられたものと伝えている。(「戸塚区郷土史」より)
常勝寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿