和泉神明社|泉小次郎親衡が築城の折の鬼門除け守護神
和泉神明社の概要
和泉神明社は、横浜市泉区和泉中央南にある神明社です。和泉神明社は、信濃国の住人泉小次郎親衡が、伊豆修善寺で討たれた源頼家の遺児、千寿を擁し、和田一族と共に北条義時討たんと旗揚げのため当地に築城した建暦2年(1212)、その鎮守として創建したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市泉区和泉中央南4-5 |
祭日 | 例大祭9月15日 |
備考 | - |
和泉神明社の由緒
和泉神明社は、信濃国の住人泉小次郎親衡が、伊豆修善寺で討たれた源頼家の遺児、千寿を擁し、和田一族と共に北条義時討たんと旗揚げのため当地に築城した建暦2年(1212)、その鎮守として創建したといいます。
新編相模国風土記稿による和泉神明社の由緒
(和泉村)
神明宮(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による和泉神明社の由緒
建暦二年(一二一二)泉小次郎親衡が当地に築城の折、鬼門除けの守護神として奉斎したと伝える。現社殿は昭和十年の再建である。(神奈川県神社誌より)
和泉神明社所蔵の文化財
- 蚕御霊神塔(横浜市地域有形文化財)
- 泉小次郎伝承地(横浜市地域史跡)
蚕御霊神塔
現在、泉区和泉中央南三六九六番地に所在する本塔は、明治一一年(一八七八年)に造立された角柱塔で、その規格は、高さ七〇・五センチメートル、幅三三センチメートル、厚さ三一センチメートルを測ります。
塔の背面には、慶応二年(一八六六年)三月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとともに、台石には、六十余名の連名が見られることから、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行ったことを知る貴重な資料です。(横浜市教育委員会掲示より)
和泉神明社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿