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御霊神社|横浜市泉区中田北の神社

御霊神社の概要

御霊神社は、横浜市泉区中田北にある神社です。御霊神社は、天正年間(1573-1592)に創建、中田村の鎮守社であったといいます。明治6年村社に列格していました。

御霊神社
御霊神社の概要
社号 御霊神社
祭神 鎌倉権五郎景政、日本武尊
相殿 -
境内社 厳島神社、山王神社、神明神社、秋葉神社、三峰神社大日大聖不動社
住所 横浜市泉区中田北3-42-1
祭日 例大祭9月第4日曜日
備考 旧村社



御霊神社の由緒

御霊神社は、天正年間(1573-1592)に創建、中田村の鎮守社であったといいます。明治6年村社に列格していました。

新編相模国風土記稿による御霊神社の由緒

(中田村)御霊社
天正中の勧請と云ふ、村の鎮守なり、本地佛大日を置く、祭礼九月二十七日、實相院持。
末社。辨天、山王。(新編相模国風土記稿より)

泉区役所掲示による御霊神社の由緒

戸塚区・栄区・鎌倉市域の御霊神社と同じく鎌倉権五郎景政を祀った神社で、昔から中田のごりょう様と呼ばれていました。明治の廃仏毀釈前は宮司家の東端に実相院の不動堂や護摩堂がありました。保安林に囲まれた石段下の弁天池は村岡川(宇田川)の源流になっています。池の前の庚申塔は、区内最古のもので、地域文化材に登録されています。鳥居横には、中田の子弟の教育に尽力された宮本湊先生の頌徳碑があります。(泉区役所掲示より)

「神奈川県神社誌」による御霊神社の由緒

新編相模風土記稿に「天正中の勧請」とあるが、藤沢市の村岡御霊神社に伝わる仁安二年(一一六七)の文書に、当地の地名があり、分社したと記されているので、勧請年代は更に遡る。
小田原落城後の文禄元年、石巻康敬が領主となって以来、鎮守神として崇敬、直々社参報賽したと伝える。現存する享保十一年社殿修復の棟札は、康敬五代の孫・石巻康久のものである。明治六年村社に列し、大正十年神饌幣帛料供進社に指定された。
大正の大震災で倒壊したのは享保十一年再興の建物で、その主要部分を用いて、同十三年九月本殿のみを復旧し、拝殿・幣殿・渡殿等は昭和七年二月、氏子の浄財を得て落成したものである。
境内には終戦前まで老松老杉欝蒼と繁っていたが、戦後松喰虫や公害のため次々に枯死した。現在の神楽殿はその用材で昭和二十二年に新築したもので、正面間口五間の幕吊りは二八〇年余を経ていた神木の松を用いたものである。又神輿庫は戦前の中和田小学校の奉安殿を移築保存したものである。
境内山林は明治四十二年以来、神奈川県の風致保安林に指定されている。(「神奈川県神社誌」より)


御霊神社所蔵の文化財

  • 石造庚申塔(横浜市指定有形文化財)

石造庚申塔

この塔は、横浜市域に所在する庚申塔の中でも古く、方形の台石の上に角柱笠塔婆型で、台石の上部には、コの字形の池をめぐらし、正面の左右に円形の半島をつきだし、花立を造っている。
塔身の四面には、南無阿弥陀仏の名号が刻まれ、正面には耳をふだいだ猿、向かって左側面には口をふさいだ猿、右側面には目をふさいだ猿がそれぞれ浮き彫りにされている。(横浜市教育委員会掲示より)


御霊神社の周辺図


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