和泉山宝心寺。松平勝左衛門昌吉開基
宝心寺の概要
浄土宗寺院の宝心寺は、和泉山松雲院と号します。宝心寺は、当地の領主だった松平勝左衛門昌吉(松雪院業蓮社定誉寳心菴澄)が開基となり、榮蓮社筏誉を開山に迎えて承応元年(1652年)に創建したといいます。
山号 | 和泉山 |
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院号 | 松雲院 |
寺号 | 宝心寺 |
住所 | 横浜市泉区和泉町3193 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝心寺の縁起
宝心寺は、当地の領主だった松平勝左衛門昌吉(松雪院業蓮社定誉寳心菴澄)が開基となり、榮蓮社筏誉を開山に迎えて承応元年(1652年)に創建したといいます。
新編相模国風土記稿による宝心寺の縁起
(和泉村)寳心寺
和泉山松雲院と號す、浄土宗京知恩院末、本尊三尊の弥陀を安ず。開山は在龍、榮蓮社筏誉と號す。承応元年三月松平勝左衛門昌吉が開基する所なり、松平次郎右衛門光福家傳にも、昌吉和泉村に一寺開基、京知恩院末、和泉山松雲院寳心寺と號すとあり。即昌吉及び其父庄右衛門昌利の遺骸を當寺に葬す、光福家傳に、庄右衛門昌利、慶長十八年十二月九日死、其後庄左衛門昌吉、相州鎌倉郡和泉村に、寺開基の節、寳心寺へ改葬、松岳院雪叟貞山と號す、昌吉は万治二年七月十三日隠居、十月十九日死葬所寳心寺、松雪院業蓮社定誉寳心菴澄と號すと見えたり。
鐘楼。鐘は天和三年鋳る所なり。(新編相模国風土記稿より)
戸塚区観光協会掲示による宝心寺の縁起
宝心寺と松平家
宝心寺には、江戸時代の和泉村領主松平氏の墓があります。松平氏の先祖の光親が三河国額田郡能見に住んだことから能見松平を名乗り、その6代目が和泉村領主松平昌吉です。松平は徳川家に仕え、後に2000石余の領地を与えられました。旗本になった昌吉は慶安4年、和泉村に菩提寺として宝心寺を創建し、父昌利の墓を改葬して以後松平家の墓としました。
境内には、岩舟地蔵、廻化地蔵(地域文化材)、大山道道標になっている庚申塔があり、また明治初期には和泉学校が置かれていました。(泉区役所掲示より)
宝心寺所蔵の文化財
- 岩船地蔵像(市指定文化財)
- 廻化地蔵
- 大山道道標
岩船地蔵像
岩船地蔵像
岩船地蔵像は、石彫の船に乗る地蔵菩薩立像で、舷側に「享保四己亥年 相州和泉村 岩舟山 念佛供養 十月二十四日」の刻銘があり、この石像が栃木県下都賀郡岩舟町の岩舟山高勝寺の地蔵尊を奉請供養したものと知られます。
享保四年(一七一九)、岩舟山地蔵尊の信仰が一時に昂揚して、関東及びその周辺にまで広まり、各地で念仏衆の信仰によって石仏が造立供養されました。当寺の岩船地蔵像はそれらのうち最も早く造立されたもののひとつとして、貴重な石造文化財です。(横浜市教育委員会掲示より)
宝心寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿