岡津山永明寺。岡津郷領主太田越前守入道宗真、前太田道灌開基
永明寺の概要
曹洞宗寺院の永明寺は、岡津山と号します。永明寺は、岡津郷領主太田越前守入道宗真、前太田佐衛門大夫持資道灌(江戸城築城)が天文11年(1542年)開基となり、徳翁寺二世興山舜養を開山に迎えて創建したといいます。
山号 | 岡津山 |
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院号 | - |
寺号 | 永明寺 |
住所 | 横浜市泉区岡津町1616 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永明寺の縁起
永明寺は、岡津郷領主太田越前守入道宗真、前太田佐衛門大夫持資道灌(江戸城築城)が天文11年(1542年)開基となり、徳翁寺二世興山舜養を開山に迎えて創建したといいます。
新編相模国風土記稿による永明寺の縁起
(岡津村)永明寺
岡津山と號す、曹洞宗、後山田村徳翁寺末、本尊正観音を安ず。開山は舜養、本寺二世、天文廿三年三月二十四日寂すと云ふ。
鐘楼。鐘は天和三年鋳る所なり。
白山社。(新編相模国風土記稿より)
戸塚区観光協会掲示による永明寺の縁起
太田道灌開闢の寺 永明禅寺
当寺は、岡津山永明寺と号し、大本山総持寺の孫末寺で、本尊は聖観世音菩薩木立像を安置している。天文十一年(西暦一五四二年)岡津郷領主太田越前守入道宗真、前太田佐衛門大夫持資道灌(江戸城築城)勧請開基にして、川上町徳翁寺(大本山総持寺御直末)二世興山舜養を開山に請して開闢する。
延宝六年(一六七八年)隣(人偏)洲順英(三世)に伽藍地所を一五六九番地より元境内地(一五六七番地)に引移し再建した。大正十二年関東大震災に裏山の崖、堂宇が崩壊したため現在地(一六一六番地)に移転(二十四世代)し、昭和三十五年二十五世圓巌祖峯代に現本堂再建した。周囲の開発と、阿久和川の氾濫による浸水も度重なり再度向側山ふところの元境内地(一五六七番地)に移転計画、発願し、昭和五十九年、檀信徒会館(法輪殿)の竣工及び総欅鐘楼堂再建に着手し、六十年完成する。続いて庫裏(伝光閣)の移転改築を行い、本堂等伽藍再建を残し、着々と移転事業計画も進展している。(境内掲示より)
永明寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿