白東山宗川寺。横浜瀬谷八福神の福禄寿
宗川寺の概要
日蓮宗寺院の宗川寺は、白東山と号します。宗川寺は、石川宗川が開基、富士重須本門寺第十二世日賢上人が寛永2年(1625)開山したといいます。江戸時代には、宗川寺の東方80メートルほどの所に問屋場(中原街道の中継所)が置かれていたといいます。横浜瀬谷八福神の福禄寿です。
山号 | 白東山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗川寺 |
住所 | 横浜市瀬谷区北新26-13 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 横浜瀬谷八福神の福禄寿 |
宗川寺の縁起
宗川寺は、石川宗川が開基、富士重須本門寺第十二世日賢上人が寛永2年(1625)開山したといいます。江戸時代には、宗川寺の東方80メートルほどの所に問屋場(中原街道の中継所)が置かれていたといいます。
新編相模国風土記稿による宗川寺の縁起
(瀬谷村)宗川寺
白東山と號す、法華宗駿州富士郡北山本門寺末、本尊三寳祖師を安ず、開山は日賢と號す。(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による宗川寺の縁起
宗川寺の大樹夫婦銀杏
宗川寺は寛永二乙丑年(一六二五)富士重須本門寺第十二世日賢上人開山、開基は石川宗川である。
山門を入ると左右の夫婦銀杏は昔から縁結び、安産祈願の信仰を受け、近所より多くの参詣があり、いまは横浜市の名木と指定された大樹である。
中原街道瀬谷問屋場跡
中原街道瀬谷問屋場は天正六戌寅年(一五七八年)小田原北條氏の関東経営の駅路として、中原街道瀬谷に問屋場が設けられ、のち徳川氏の江戸開府により駿河国山宮西谷の住人石川彌次右衛門重久(虎之助)が問屋場の運営を幕府より託され、江戸ー平塚間五駅の中宿、瀬谷駅の問屋場として、江戸時代二七〇年にわたって、中原往還の道筋の人馬諸貨物の運送、継立てにその役割を果した。(これより東方八〇米、桧林がその跡である。)(瀬谷区役所掲示より)
宗川寺所蔵の文化財
- 宗川寺の大樹夫婦銀杏
- 中原街道瀬谷問屋場跡
宗川寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿