上俣野神社|旧称欽明天王社
上俣野神社の概要
上俣野神社は、横浜市戸塚区にある上俣野神社です。上俣野神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期までは欽明天王社と称しており、欽明天皇代(-571?)創建なので欽明天王社と号していたといいます。江戸期には上俣野村の鎮守社として鎮座、明治6年村社に列格の際、上俣野神社と改称したといいます。
社号 | 上俣野神社 |
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祭神 | 欽明天皇、須佐之男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市戸塚区俣野町763 |
祭日 | 例大祭9月14日 |
備考 | - |
上俣野神社の由緒
上俣野神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期までは欽明天王社と称しており、欽明天皇代(-571?)創建なので欽明天王社と号していたといいます。江戸期には上俣野村の鎮守社として鎮座、明治6年村社に列格の際、上俣野神社と改称したといいます。
新編相模国風土記稿による上俣野神社の由緒
(上俣野村)
欽明天王社
村の鎮守とす、村持、
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神明宮
村民持下同、
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第六天社
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荒神社
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三十番神社(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による上俣野神社の由緒
古くより欽明天皇御宇の創立と伝えて「欽明天王社」と称したが、明治維新の際現社名に改めた。安政三年社殿を再建、明治六年村社に列した。現社殿は同三十二年の改築にかかる。(神奈川県神社誌より)
「戸塚区郷土史」による上俣野神社の由緒
上俣野神社(俣野町中庭七六三番地)
欽明天皇および須佐之男命の二柱の神を祀り、欽明天皇御代の創建と伝えているが、明らかでない。しかし社伝にちなみ欽明天王社と呼んでいたのを、明治六年村社列格の際上俣野神社と改称した。それより前安永三年と明治三十二年に社殿を改築したが、この他に一二七〇番地に宝暦十年の創立と伝える神明社があり、神明社は文政三年と明治八年改築を施したという。(「戸塚区郷土史」より)
上俣野神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿