戸塚羽黒神社|横浜市戸塚区戸塚町の神社

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戸塚羽黒神社|沢辺修理亮信直の長男沢辺河内守信友が創建

戸塚羽黒神社の概要

戸塚羽黒神社は、横浜市戸塚区にある羽黒神社です。戸塚羽黒神社は、国府台の合戦で戦死した沢辺修理亮信直(天文7年1538年没)の長男沢辺河内守信友が弘治2年(1556)に創建したといいます。戸塚が宿場町になるよう幕府に働きかけていた沢辺宗三は、元和2年(1616)11月17日に(戸塚が宿場町となる)伝馬証文が下附された際、羽黒社に感謝して祭日を11月17日としたといいます。江戸期には戸塚宿内の鎮守とされ、明治6年村社に列格、明治14年戸塚町内神沢より当地へ遷座したといいます。
なお、当地は江戸期には戸塚宿澤邊本陣だった場所で・明治天皇が東京へ下った際には行在所とされた地です。

戸塚羽黒神社
戸塚羽黒神社の概要
社号 羽黒神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 大島稲荷社
住所 横浜市戸塚区戸塚町4142
祭日 例祭日11月17日(湯立神楽)
備考 -



羽黒神社の由緒

戸塚羽黒神社は、国府台の合戦で戦死した沢辺修理亮信直(天文7年1538年没)の長男沢辺河内守信友が弘治2年(1556)に創建したといいます。戸塚が宿場町になるよう幕府に働きかけていた沢辺宗三は、元和2年(1616)11月17日に(戸塚が宿場町となる)伝馬証文が下附された際、羽黒社に感謝して祭日を11月17日としたといいます。江戸期には戸塚宿内の鎮守とされ、明治6年村社に列格、明治14年戸塚町内神沢より当地へ遷座したといいます。

新編相模国風土記稿による羽黒神社の由緒

(戸塚宿)羽黒社
弘治二年の勧請と云、例祭十一月十七日、本地佛十一面観音を安ず。以上三社を宿内の鎮守とす。
当山修験澤寶院、高座郡吉岡村龍六寺配下、社を守れり。(新編相模国風土記稿より)

「戸塚区郷土史」による羽黒神社の由緒

羽黒神社(戸塚町四一四二番地)
祭神は稲倉魂命。沢辺河内守信友の勧請と伝えている。信友は(天文七年十月七日国府台の合戦で戦死した沢辺修理亮信直の長男)生国出羽の羽黒山のふもとから諸国偏歴の旅に出、たまたま弘治二年(一五五六)五月当地に来住したとき神沢の頂きが生国の霊地に似ていることから、ここに羽黒大権現を勧請したという。明治六年に村社に列せられ、同十三年八月神沢の地から現在地にうつされた。なお、以前は元和二年十一月十七日、伝馬証文が下附の日を祭神の霊験によるものとして、例祭日と定めていたが、現在では八月十七日に祭礼を厳修している。末社に文鳥稲荷社がある。(「戸塚区郷土史」より)

神奈川県神社誌による羽黒神社の由緒

弘治二年(一五五六)五月沢辺河内守信友が勧請したもので、信友の子信重は冨塚村が宿駅と定められたことを、当社の霊験によるものと感謝し、御伝馬証文下付の日を記念して毎年十一月十七日を祭礼の日と定めた。はじめ当町西方の神沢に鎮座していたが、明治十四年八月十七日現在地に遷座した。社殿は寛永、慶安、寛文年間に改築されているが、寛文の改築中に境内の松の根元から金銅十一面観音が出土したという。現社殿は昭和三十四年八月十七日の改築になる。(神奈川県神社誌より)


戸塚羽黒神社所蔵の文化財

  • 戸塚宿澤邊本陣跡・明治天皇行在所

戸塚宿澤邊本陣跡・明治天皇行在所

旧東海道
澤邊本陣は戸塚宿に二つあった本陣のうちの一つです。本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の開設にあたって幕府に強く働きかけた功労者です。明治天皇の東下の際には行在所になりました。敷地の一角に戸塚宿の鎮守の一つ羽黒神社があります。弘治二(一五五六)年に澤邊河内守信友が羽黒大権現と勧請したのが始まりと言われています。(境内掲示より)

戸塚羽黒神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿