東峯八幡大神|名主渡辺三左衛門が永久2年勧請
東峯八幡大神の概要
東峯八幡大神は、横浜市戸塚区にある神社です。東峯八幡大神の創建は、当地累代の名主、渡辺三左衛門が永久2年(1114)中打越に勧請、明和2年(1765)当地へ移転したといいます。江戸期には、当地吉田町の鎮守社となっていました。
社号 | 八幡大神 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市戸塚区吉田町1263 |
祭日 | 例大祭9月第3土日曜日 |
備考 | - |
東峯八幡大神の由緒
東峯八幡大神の創建は、当地累代の名主、渡辺三左衛門が永久2年(1114)中打越に勧請、明和2年(1765)当地へ移転したといいます。江戸期には、当地吉田町の鎮守社となっていました。
新編相模国風土記稿による八幡大神の由緒
(吉田町)八幡宮
鎮守なり、例祭十一月十五日、宝蔵院持下同じ。
末社。五神合祀、神明、春日、稲荷、子安神、子ノ聖等なり。山王。(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による八幡大神の由緒
吉田町字東峯、通称八幡山に鎮座しており、応神天皇を祭神とし、永久二年(一一一四)十一月十五日の勧請で、伝承によれば、当地累代の名主であった渡辺三左衛門の祖某が官に請うて、当町内打越に勧請したのが嚆矢であったという。その後明和二年(一七六五)八幡太郎義家が東征の折り休息したと伝える八幡山白旗の椎の古木の存する旧蹟地、すなわち現社地に遷座したといい、「新編相模風土記稿」には「八幡宮(吉田)の鎮守なり、例祭十一月十五日宝蔵院持」と記し、八幡宮を八幡大神と改めたのは明治初年のことである。昭和四十一年四月、近代建築により再築された。(「戸塚区郷土史」より)
神奈川県神社誌による八幡大神の由緒
永久二年(一一一四)、当地累代の名主、渡辺三左衛門が勧請したもので、創建の地は当町中打越であったが、明和二年九月現在地に遷座した。現在地は俗称「八幡山」、旧鎌倉街道に近く、遠く富士の霊峰を望む高台で、境内に椎の古木(周囲四・六米)がある。「白旗の椎」と呼び、源義家奥州下向の際、ここに休憩したと伝える。本殿(総桧)は安政五年四月十六日の改築、拝殿は昭和四十一年四月十六日の竣工になる。(神奈川県神社誌より)
東峯八幡大神の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿