福聚山盛徳寺。蜂須賀飛弾守隆重の妻盛徳院開基
盛徳寺の概要
曹洞宗寺院の盛徳寺は、福聚山養當院と号します。盛徳寺は、養当院という寺の古跡を引き継ぐ形で、蜂須賀飛弾守隆重の妻盛徳院(貞享元年1684年卒)が開基となり、大旗(寛文8年1668年寂)が開山したといいます。
山号 | 福聚山 |
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院号 | 養當院 |
寺号 | 盛徳寺 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
住所 | 横浜市戸塚区上倉田町560 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
盛徳寺の縁起
盛徳寺は、養当院という寺の古跡を引き継ぐ形で、蜂須賀飛弾守隆重の妻盛徳院(貞享元年1684年卒)が開基となり、大旗(寛文8年1668年寂)が開山したといいます。
新編相模国風土記稿による盛徳寺の縁起
(上倉田村)盛徳寺
宗(長門國豊浦郡功山寺末)福聚山養當院と號す、本尊観音(木座像長一尺二寸、安阿彌作、)天和元年養當院の古跡に就て更に建立する所なり、開山は大旗(寛文八年四月四日卒、)開基は祖蜂須賀飛騨守隆重の後室盛徳院なり、法名天暁然窻(貞享元年六月廿四日卒)
薬師堂。行基の作佛を安ず、(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による盛徳寺の縁起
福聚山養当院と号し、本尊は聖観世音菩薩。天和元年(一六八一)曾って養当院という寺のあった古跡に再建したもので、開山は大旗(寛文八年四月四日寂)。開基は蜂須賀飛弾守隆重の妻盛徳院(法名天暁然窻、貞享元年六月二十四日卒)であり、当寺には蜂須賀家の墓所もあり、特に同家の信仰が厚かったという。(「戸塚区郷土史」より)
盛徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿