蔵田寺。横浜市戸塚区上倉田町にある浄土宗寺院

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澤泉山蔵田寺。旧鎌倉三十三年霊場二十一番

蔵田寺の概要

浄土宗寺院の蔵田寺は、澤泉山西向院と号します。蔵田寺は、法誉祖道上人(慶長二年四月寂)が開山、当寺の観音像は鎌倉三十三年霊場二十一番札所だったといいます。

蔵田寺
蔵田寺の概要
山号 澤泉山
院号 西向院
寺号 蔵田寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 横浜市戸塚区上倉田町318
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 蔵田寺澤泉斎場
備考 -



蔵田寺の縁起

蔵田寺は、法誉祖道上人(慶長二年四月寂)が開山、当寺の観音像は鎌倉三十三年霊場二十一番札所だったといいます。

新編相模国風土記稿による蔵田寺の縁起

(上倉田村)蔵田寺
浄土宗(大町村安養院末)澤泉山西向院と號す、本尊三尊彌陀(安阿彌作長各一尺五寸)元龜元年の創建にて開山は祖道(慶長二年四月十八日卒)中興は傳了(延寶八年六月廿七日卒)と云ふ、
鐘樓。鐘は正徳二年の鑄造なり、
辨天社
観音堂。千手観音を置(行基作、)此堂を誘引堂と號す里正半左衛門が祖堀内誘引之助、小田原北條氏に屬し、後年當地に土着せし頃己が守護佛を安ぜんが爲に、此堂を建、故に此號ありしと云へり、(新編相模国風土記稿より)

「戸塚区郷土史」による蔵田寺の縁起

沢泉山西向院と号し、本尊は阿弥陀如来。当所草庵で、開山は法誉祖道上人(慶長二年四月寂)。二世心誉伝了(延宝八年寂)の代に現在地に戸塚宿伊勢屋中出与右衛門与休が檀越となり、本堂を建立、正徳二年梵鐘が鋳造され、次いで弁天堂と観音堂が建てられたといわれ、観音は鎌倉三十三年霊場二十一番札所であり、弁天は当初本堂内にあったのを後世信者が一心堂と称する別堂を建立したという。当寺には江戸末期歌僧大雲が住した関係もあり、文人歌人の出入りがしげく、特に伊勢屋一族の鈴木富長、長温父子は和歌をよくし、橘千陰・村田春海と交わり、多くの文化を求むる人々で賑わったという。境内に千陰の叔父加藤孫兵衛景澄の墓石あり、また鈴木墓地内の酒樽型の石碑は有名である。諸堂宇は昭和三十九年までに改築され、新しい装いを呈している。
寺宝 千手観音(伝行基作)、小田原北条の家臣堀内誘引之助はここに土着し、その守り本尊千手観音を寄進したという。(「戸塚区郷土史」より)


蔵田寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿