龍谷山雲林寺。北条政子が頼朝の冥福を祈念するために草創
雲林寺の概要
曹洞宗寺院の雲林寺は、龍谷山と号します。雲林寺の創建年代等は不詳ながら、北条政子が頼朝の冥福を祈念するために草創したとも伝えられます。その後竹下小次郎(法名寶珠院転玉浄輪禅門、永享9年1437年死)が開基、徳翁寺五世厳隆(慶長19年1614年寂)が中興して竜谷山と号したといいます。
山号 | 龍谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 雲林寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市戸塚区矢部町788 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
雲林寺の縁起
雲林寺の創建年代等は不詳ながら、北条政子が頼朝の冥福を祈念するために草創したとも伝えられます。その後竹下小次郎(法名寶珠院転玉浄輪禅門、永享9年1437年死)が開基、徳翁寺五世厳隆(慶長19年1614年寂)が中興して竜谷山と号したといいます。
新編相模国風土記稿による雲林寺の縁起
(矢部町)雲林寺
曹洞宗後山田村徳翁寺末龍谷山と号す。本尊三尊弥陀。開基は竹下小次郎と云ふ、永享九年九月十六日死、法名寶珠院転玉浄輪禅門、天正十九年の水帳にも村民善兵衛蔵当寺域は、舊き在住の地たるを以て除地とせし事見えたり、中興開山を厳隆といへり。本山五世、慶長十四年正月十五日寂す。
白山社。(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による雲林寺の縁起
北条政子が頼朝の冥福を祈念するため草創したと伝えているが、相模風土記稿に「開基ハ竹下小次郎ト云(永亨九年九月十六日死法名宝珠院転日浄輪禅門)天正十九年ノ水帳(村民善兵衛蔵)ニモ、当寺域ハ旧キ在住ノ地タルヲ以テ、除地トセシ事見エタリ」と記しているので、竹下小次郎によって開基されたのではあるまいか。また寺伝には応永十年(一四〇三)伽藍に修覆を加え、大永三年(一五二三)六月四日炎上したといっているが、応永十年は永享九年(一四三七)をへだたる三十四年にしかすぎないので、応永十年は起立の年であったろう。その後一時廃寺のすがたとなったのを、後山田徳翁寺の五世厳隆(慶長十九年正月十五日示寂)が再興して竜谷山と号した。その後大正十二年の大震災で倒壊したため、昭和九年三月本堂および庫裡を再建、更に四十一年庫裡、翌四十二年九月本堂が新装新らたに落成した。
古碑 境内に竹下小次郎と家臣の碑があるほか、板碑もある。(「戸塚区郷土史」より)
雲林寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿