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熊野神社|横浜市鶴見区市場東中町の神社

熊野神社の概要

熊野神社は、横浜市鶴見区市場東中町にある神社です。熊野神社は、紀州熊野別当尊慶が弘仁年間(810-824)「権現社地」に勧請、天保年間(1830-1844)に道上耕地へ遷座、明治5年JR東海道線の敷設により、八幡社のあった当地へ遷座したといいます。明治6年村社に列格しました。鶴見七福神の福禄寿です。

熊野神社
熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 国常立尊、伊邪奈岐命、伊邪奈美命
相殿 -
境内社 八幡神社、稲荷神社、神明社、五社大神、大鳥神社
住所 横浜市鶴見区市場東中町9-21
祭日 -
備考 旧村社



熊野神社の由緒

熊野神社は、紀州熊野別当尊慶が弘仁年間(810-824)「権現社地」に勧請、天保年間(1830-1844)に道上耕地へ遷座、明治5年JR東海道線の敷設により、八幡社のあった当地へ遷座したといいます。明治6年村社に列格しました。

新編武蔵風土記稿による熊野神社の由緒

(市場村)熊野社
東海道往来より西北の方へ四町余り隔りて耕地の中にあり、三尺四方の社にて上に二間に三間の上屋を立、別当遍照院に蔵する過去帳に、弘仁年中の鎮座とすれど他の證すべきなければ恐らくは無稽の説なるべし。又土人の傳に当社は往古村の西北の方に鎮座せり。今その舊地を権現社地と呼て見捨地なりと。是も大抵東海道を転ぜられし頃移りしなるべし。例祭毎年九月十五日
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若宮八幡社跡
是も海道より北へ二町余隔りて耕地の中にあり。昔は社もありしが、年歴て廢してより未だ再建に及ばずと云。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による熊野神社の由緒

熊野神社
社伝によれば、嵯峨天皇の御宇、紀州熊野別当尊慶の勧請という。当初村の西北方、通称権現社地に鎮座したが、該地は元屋敷とも称し、往古民家の集落があったと伝える。天文年中、宮司萩原家の初代若杉所左衛門、武蔵国橘樹郡稲毛領の古市場村より当所へ出向、土地を開拓して此地を市場と称した(萩原家由緒記蔵)。地区の繁栄に従い住民熊野権現の加護に預るものとして往昔国府の所在地に通う小杉街道に向う元宮の地に社殿を改築した。江戸入国の当時村民の請により、本殿、拝殿の新築あり。寛永二十一年(一六四四)代官伊奈半十郎の検地帳には、除地一反二畝歩、免田四反歩とある。往時鶴見川、六郷川の洪水しばしばあり、社殿の大破等にて証拠文書を損失、僅に当時の水帳の写し等にて概況を知る。明和元年五穀豊穣の報賽のため本殿改築、石鳥居一基を建立、天保十年十月拝殿改築。明治五年国鉄東海道線の敷設により、現在地(旧東海道)末社八幡社地に遷座す。明治六年村社に列し、同十四年改築、大正七年五月大修理、同八年五月九日神饌幣帛料供進社に指定せらる。同十二年九月一日関東大震災により拝殿倒壊し、同八年社殿を復興、社務所を新築した。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による熊野神社の由緒

熊野神社略記
弘仁年中紀州熊野宮神霊を勧請す。旧市場村の熊野耕地八本松の所に鎮座、其後天保年中道上耕地に遷座(現在元宮)す。明治五年東海道線敷設の為現地に遷座。(境内掲示より)


熊野神社の周辺図


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