聖王山大聖寺。横浜市鶴見区仲通
大聖寺の概要
天台宗寺院の大聖寺は、聖王山文殊院と号します。大聖寺の創建年代等は不詳ながら、正治元年(1199)の創建とも伝えられ、第四世祐秀法印(寛永16年1639年寂)が天正15年(1587)に中興したといいます。
山号 | 聖王山 |
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院号 | 文殊院 |
寺号 | 大聖寺 |
住所 | 横浜市鶴見区仲通1-2-3 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大聖寺の縁起
大聖寺の創建年代等は不詳ながら、正治元年(1199)の創建とも伝えられ、第四世祐秀法印(寛永16年1639年寂)が天正15年(1587)に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による大聖寺の縁起
(潮田村)大聖寺
村の中央より少しく西南によれり、聖王山文殊院と號す、天台宗にて品川常行寺末寺なり、開山は傳へざれど境内に第四世の住持祐秀の墓を見るに、寛永十六年九月十二日示寂するときは、開山の年代は古きことなるべし、本尊大日坐像にして長一尺六寸許、本堂南向にて八間に七間。
山王社。境内に入て左にたてり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による大聖寺の縁起
聖寺
位置
大聖寺は聖王山文珠院と號し、鶴見區潮田町千七百二十六番地に在る。境内は八百六十四坪。(官有地。)東京府品川町常行寺末、寺格は五等三級である。
沿革
正治元年の創建と云ふも、開山・開基は詳でない。嘉吉二年に中興した。天正三年、囘祿に罹り、堂宇・什寶等悉く灰燼に歸し、草創以來の沿革等も全く不明となつた。同十五年四月、祐秀法印が之を再興した。故に祐秀法印を中興開山とする。寛保三年九月、第十世義剛、本堂再建。寛政八年十月、第十八世眞順、山門造立。文政十年三月、第十九世周泰、庫裡造立。祐秀中興以來、法嗣二十二世を重ね、今日に至つた。
本尊
本尊は大日如來、木造坐像。臺座共 長七尺。運慶作と云ふ。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
大聖寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿