東方天満宮|東方村の鎮守、慶長年間に字天神山から遷座
東方天満宮の概要
東方天満宮は、横浜市都筑区東方町にある神社です。東方天満宮の創建年代等は不詳ながら、古くより村の鎮守社として鎮座、慶長年間に字天神山から当地へ遷座したといいます。明治42年村内にあった八幡社・神明社・愛宕社・御嶽社・稲荷社を合祀、大正9年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。
社号 | 天満宮 |
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祭神 | 神功皇后、少名彦命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市都筑区東方町1275 |
祭日 | 9月25日 |
備考 | - |
東方天満宮の由緒
東方天満宮の創建年代等は不詳ながら、古くより村の鎮守社として鎮座、慶長年間に字天神山から当地へ遷座したといいます。明治42年村内にあった八幡社・神明社・愛宕社・御嶽社・稲荷社を合祀、大正9年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。
新編武蔵風土記稿による東方天満宮の由緒
(東方村)
八幡社
除地、二畝、村の西にあり、上屋一間半四方東向なり、神體二尺ばかり、弓箭を帶して岩に腰懸たる形なり、社前に木の鳥居を立、例祭四ヶ年に一度祭ると云、池邊村福聚院持。
末社稲荷社。
古碑一。境内にあり、應永十六年と記せり。
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天神社
除地、二段、村の中央にて、社は二間四方、拝殿三間に二間南向なり、石の鳥居を立、石階數級あり、神體は束帶の姿にて木の坐像なり、長一尺五寸ばかり、古物なれども其作を傳へず、村の鎮守にして、例祭は七月二十五日、これも池邊村福聚院の持なり。
末社。
辨天社。本社に向て左りにあり。
牛頭天王社。本社より右にあり。
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神明社
村の東にあり、村民の持。
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愛宕社
村の東にあり、これも村民の持。 (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による東方天満宮の由緒
由緒不詳であるが、文政十一年二月二十五日本社再建、文久二年七月二十五日拝殿再建、明治四十一年近隣の無格社五社を合併す。大正九年十二月二十二日神饌幣帛料供進社に指定せられた。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による東方天満宮の由緒
創立は不詳なれど旧社殿は当社より北方十五丁天神山の中央に鎮座し慶長年間の頃現在地へ遷座せりと云う。武蔵風土記によれば文禄元年梶川四郎二郎忠助の知行とあり菅公像台座にその名が記され御再興延享三丙寅歳七月と併記さる。
文政十一年本社を再建その彫刻は丹精にして結構を極め近郷にその類を見ず。
明治四十二年八幡社・神明社・愛宕社・御嶽社・稲荷社を合祀。(境内掲示より)
東方天満宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿